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不可思議な鏡に飲み込まれた時、ジョセフは死すら覚悟していた。 だが鏡が消えた瞬間、まばゆい光の中に存在していたのは自分のみ。 孫の承太郎もDIOの死骸も、自分の周りには存在しない。それだけでも自分のやるべきことを為せた、という安堵感が自分を包んでいた。せめて願わくば、自分が遺して来てしまった愛する者達が悲しまないでくれればいい……今のジョセフが願うのは、ただそれだけだった。 そして更に光が眩しくなって行く中、ジョセフは満ち足りた気持ちに包まれながら目を閉じ――た次の瞬間。 空中に投げ出された浮遊感が唐突に全身を包み、続いて地面に叩きつけられる衝撃がジョセフを襲う。 「ぐふぁっ!?」 衝撃はさほどではなかったが、まだ治し切っていない傷にはやや響く。 「アイチチチチ……な、なんじゃ、ここは?」 余りの状況の変化に、ジョセフは思わずキョロキョロと周囲を見渡す。 気が付いたら、鮮やかな青空と美しい草原が広がっていた。 そして自分を取り囲むように立っている、学生服の上に黒いマントを羽織った少年少女達。……と、見たことあるような動物達と、見たことないような動物……と言うか、明らかな怪物達。 数歩離れた場所には、真ッピンクのロングヘアのチンチクリンな少女(好みにうるさいジョセフの目からしても、十分に美少女と言える類の美少女だ。凹凸がないのもそれはそれでいい――ジョセフはそう思った)が憮然とした顔で自分を見つめ……いや。睨み付けていた。 ジョセフはかつて、ヒマを持て余してぶらりと入った映画館で、ポップコーン片手に見ていたファンタジー映画のワンシーンをふと思い出した。 鼻をくすぐる草の匂い、春を思わせる柔らかな風と日差し。 砂と猛暑のエジプトに慣れていた肉体には唐突過ぎる状況の変化。ジョセフは即座に片膝立ちとなり、左手に持っていた帽子を被る。視線は周囲を注意深く見渡し、どのような攻撃が来ても対処できる体勢を整えるのは、もはや条件反射とすら言っても良かった。 (これは……なんじゃ! スタンド攻撃か!? じゃが……これほどまでに大掛かりな効果を与えるとは考えづらいッ。だとすると、わしは『瞬間移動を食らった』と考えるのが一番無難じゃろうな……) だが瞬間移動だとすると、蘇生したばかりの自分一人ではあまりに分が悪すぎる。 手負いの状態で果たして何処までやれるのか。と、そこまで瞬間的に思考を走らせて、ふと気付いた。 目の前に立っているピンク少女も含めて、少年少女達には殺気が無い。 ピンク少女は怒りがヒートアップしているのが手に取るようにわかる。が、少年少女達は何やら笑いあっている雰囲気こそはあれど、襲い掛かってくる様子など微塵も無い。 聞こえてくるのは「おいおい、サモン・サーヴァントで人間呼び出したぜ?」「しかも平民の爺さんだ」「やったッ! さすが『ゼロ』、俺達には出来ない事をやってのけるッ! そこにシビれる憧れないッ」などとはやし立てる声と、笑い声。 だがジョセフは万が一の場合に備え、どうにでも動ける体勢を続けたまま目の前の少女を見やり。口を開こうとしたジョセフより僅かに早く、少女が口を開いた。 「あんた、名前は?」 「……わしか」コンマ数秒躊躇してから、ゆっくりと名を名乗った。「ジョセフ・ジョースターじゃ。あんたは?」 不本意、という言葉を顔全体でこれ以上ないほど表現しきった憮然とした面持ちで、少女は名乗られた名前を聞き。緩やかに腕組みをした。 「あんた、どこの平民?」 人に名前を聞かれても当然のようにスルー。質問を質問で返される無礼にカチンと来たが、その程度でキレないくらいには年齢を重ねてきたジョセフである。 それにしても『平民』とは。イギリスに住んでいた子供の頃に聞いて以来、やっと聞いたような死語ではないか。 「今はニューヨークに住んでおる」 「ニューヨーク? 聞いたことないわね。どこの田舎よ?」 ジョセフはそう答える少女の表情を見て、彼女は嫌味や皮肉でニューヨークを田舎だと称したのではない、と判じた。 彼女はニューヨークを“知らない”のだ。 「じゃあここはどこじゃ?」 「あんた、貴族に平民がそんな口叩いていいと思ってんの? そもそもあんたみたいな平民がこうやって貴族に口を利いてもらえるだけでも有り得ないことなのよ」 尊大な態度で、膝立ちのジョセフを見下ろす少女。どうやら自分に貴族の威厳とやらを見せ付けて威張っているつもり、らしい。 しかしジョセフは貴族の威厳とやらを非常に大胆にスルーし、現段階で判断できることを頭の中でまとめていた。 (……これは。DIOとは関係がない可能性があるかもしれん……ヤツの手の者なら、このようなまどろっこしい小芝居などする前にわしを殺しておる。手負いのワシなぞ幾らでも殺せるんじゃからな。 そもそも吸血鬼とか柱の男とかスタンドとかあるんじゃ。またわしの知らん『何か』があるとしたって今更驚きゃせんわいッ) そうとなれば、後は情報を収集し、現状を把握せねばなるまい。ジョセフは、しばらく様子を見ることに決めた。 ピンク少女はほんの少しの間、ジョセフを睨み付けていたが勢い良く背を向けると、U字ハゲの黒マントへと駆け寄っていった。 そこで何やら「もう一度召喚を」「春の使い魔召喚は神聖な儀式なので一度きり」などという会話が漏れ聞こえてくる。 (もしかしてアレか) ジョセフはイヤァな予感がした。 (わしは召喚されちまったということか。それも使い魔として! じゃあ誰の! 誰の使い魔じゃというんじゃ!) 答えはとっくの昔に出ている。 しかしそれは認めたくない。出来れば何かの間違いであってくれとすら思う。 1 ハンサムなジョセフは突如としてこの危機を脱するアイディアを思いつく 2 仲間が来て助けてくれる 3 現実は非情である。ピンク少女の使い魔になろう! (1! 1を思いつくんじゃジョセフ・ジョースター!!) ハゲ親父との会話が終わって、ピンク少女がジョセフを振り向く。だがジョセフ自慢の脳細胞は危機を脱するアイディアを思いついてはくれない! (じゃ……じゃったら2! 2でいいッ!) ピンク少女が渋々といった様子でこちらに歩いてくる。現実逃避気味に仲間が来ることを願うが、仲間が来る事がないのは誰ならぬジョセフが一番知っている。 (さ…3かッ! 3しかないというのかッ!) 呆然と跪いたままのジョセフの前に立った少女は、それでもしばらく躊躇ったり視線をそらして再び視線を戻したり、また躊躇ったり。 そして意を決したか、真っ赤になった顔と手に持った杖をジョセフに向け、早口で言い切った。 「……か、感謝しなさいよね! 平民が貴族にこんなことされるなんて、普通はありえないんだから! あんたをわたしの使い魔にしなきゃならないから、仕方なく……そう、仕方なくよ! 仕方ないんだからね!!」 へ? と頭にクエスチョンマークを浮かべたジョセフは、僅かな隙を突かれた。 「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」 ピンク少女が杖を自分の額に当てたかと思うと―― 自分の唇は、少女の唇で塞がれていた。 驚きに見開いたジョセフの視界には、固く固く目を閉じた少女の顔。 その瞬間、ジョセフは (や……役得というやつかッ! これなら別に使い魔になってもいいかもしれんッ!) と、これまでの自問自答を捨てて「3 現実は非情である。ピンク少女の使い魔になろう!」を選んでいた。 だがその幸福感も、ほんの数秒だけだった。 少女が唇を離した瞬間ッ! 『左腕に感じる焼き鏝を押されたかのような痛み』ッッッッ!! 「うおおおおおおッッッッ!!!?」 理解不能理解不能理解不能ッッッ!! 五十年前に失ったはずの箇所から! 明らかに! 焼き鏝を押されたかのような痛みを感じている!! ついぞしばらくしたことのない『左腕を押さえて蹲る』ジョセフを見下ろした少女が、あきれたような声を投げかける。 「大袈裟ねー。大丈夫よ、『使い魔のルーン』が刻まれてるだけだから」 (そりゃお前さんは焼き鏝なんぞ押されたことはないじゃろうからなッ!) という言葉も、左腕から未だ感じてしまう痛みが飲み込ませる。 既に熱は引いたが、義手から感じる痛覚、という奇妙な感覚がジョセフに新たな疑問を生じさせる。本当に何が起こったのか、何か起こっているのか、詳細な情報収集が必要だ。 蹲るジョセフとそれを見下ろす少女をよそに、他の連中はそれぞれホウキやドラゴン空を飛んで去っていってしまった。少女に対して、「お前はレビテーションもフライトも使えないんだから歩いて来いよ!」「じゃあね『ゼロ』のルイズ!」と囃し立てながら。 ジョセフは唖然としてその光景を見上げながら、しみじみとこう思った。 (とんでもないところに来てしまったのォ~~~……) To Be Contined → 戻る
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ルイズにとっての厄日を挙げろと言われたら、まず間違いなくこの日が挙がるだろう。 使い魔召喚で手間取った挙句、召喚できたのはよりによって平民の老人。 図体ばかりがデカいだけで非常に無知で、この偉大なるトリスティン魔法学院すら知らないどころか、魔法の存在さえろくすっぽ知らないと来たものだ。 あまつさえニューヨークだチキュウだなどと、ルイズが知らないような辺境から来たとのたまう。 この世界の何処に月が一つしかない場所があるというのだ。貴族を馬鹿にするにも程がある。 そのくせ随分と聞きたがりで、昼間に召喚してからというもの、日が沈むまであれやこれやと質問ばかりしてくる。 子供でも知っているような事ですら何でも聞いてくるので、ウンザリしたルイズは最後になると質問を全て「うるさいうるさいうるさい!」で全部シカトした。 しかしシカトしてしまえば、平民は大人しく黙り込んで外へ出ていった。 これからあのボケ老人を相手にし続けなければならないのかと思うと、ルイズはほとほと嫌気が差した。 しかもファーストキスまであの老人にくれてやったというのが甚だ不愉快極まりない。 とにもかくも今日は疲れた。 ルイズは寝巻きに着替えてとっとと寝ようとして、「使い魔が帰ってきたら何処で寝るか」を言い含めなければ安心して眠れないということに気付き……再び怒りを膨らませた。 ジョセフにとっての厄日を挙げろと言われたら、まず間違いなくこの日は選外だ。 命懸けの冒険が終わったかと思ったら、突然異世界に召喚されて有無を言わさず使い魔にされるというある意味屈辱的な事態を迎えることになった。 が、究極生物や超常現象との戦いを潜り抜けてきたジョセフにとっては、この程度のアクシデントなど「奇妙な」という冠言葉をつけてやるにも値しない。 むしろ美少女のファーストキスを頂いたのだから十二分に良い日だと断言してもいい、とすらジョセフは考えていた。 ひとまず元の世界に帰還することよりも、この世界でどうやって生活するか。 まずはそこから足場を固めていかなければなるまいと考えたジョセフがとった手段は、「弱者のフリをし通す」ことだった。 その為に図体が大きいだけの無知な老人を装えば、世間知らずの主人は疑うことすらせずそれを信じ込んだ。 中世貴族そのままの思考パターンで動いている人種には、とにかく「自分より立場が下の人間」だと思い込ませれば非常に都合がいい。 油断させてしまえば、後は態度次第で自分の思うがままに相手の心理を誘導させられる。 たった一代でニューヨークの不動産王に成り上がった男の処世術として初歩も初歩。 ひとまず、ルイズへの質問攻めのおかげで現状は大体把握した。 ボケ老人が質問してはおかしい事柄は、部屋から追い出された後でハーミットパープルの念視で把握してしまった。 主人がヒミツにしている宝物の隠し場所もバッチリである。 (後は役に立たんフリさえしとれば、厄介事にも巻き込まれんじゃろ。後は……自分の身体じゃな) ジョセフの波紋では骨折やらの大怪我は治せないとは言え、軽い怪我なら治癒できる。体内を流れるDIOの血も、波紋呼吸を続けていればいずれ浄化することは可能。 ただ一つ、気がかりなことがあるとすれば。 ジョセフは左手の手袋を脱ぎ、義手に刻まれた奇妙な文字……ルーンに視線を集めた。ルイズに言わせるとルイズの使い魔になったという証だということだが、ルーンが刻まれた瞬間から、この鉄の義手は明らかな奇妙さを醸し出す様になっていた。 日常生活に支障がないほど精巧な動作が出来る義手だったが、今では“義手に波紋が留まる”ようになった。 波紋は金属に留まることができず、流したとしても即座に拡散してしまう性質があるにも拘わらずだ。 教師であるU字ハゲのコルベールも「これは珍しいルーンだな。なんだキミは左手だけゴーレムなのか?」との言葉であっさり流したせいで、答えに辿り着くのは随分と後のことになりそうだ。 ひとまず校内の間取りも把握し、周囲の地形もおおよそ理解した。一番身近な自分の身体が一番不審だというのが腑に落ちないが。 部屋を出てきた時と現在の月の位置を確認し、やや時間が経ち過ぎた事に気付くと、ルイズの部屋へと戻る。 扉の前へ来るとノックしてもしもーし。 「遅いッ! どこほっつき歩いてたのよッ!」と返事が来てからドアを開けて部屋へ入る。 「いやァすいません、あんまりにも広いんで道に迷ってしまいましてのォ」 頬をポリポリかきながら事も無げに答える。 「アンタ常識ってモンがないの!? 主人が寝ようかって時に側にいない使い魔なんて聞いたことがないわ!」 それから続け様に八つ当たりめいた罵詈雑言を飛ばすルイズだが、何で怒られているのか判りませんよという顔をしているジョセフに盛大にため息をついて、床に敷かれたボロ毛布を指差した。 「もういいわ、疲れた。あんたはそこで寝なさい。あたしも寝るわ。そうそう、そこに服が置いてあるから洗濯しといてね。朝はちゃんと起こすのよ!」 言いたいことだけ言ってしまって、ルイズは指を鳴らしてランプを消し。そのままベッドに潜り込んだ。 程無くして寝息が聞こえてくるのを確認してから、ジョセフは小さくため息をつき。とりあえず毛布の上に座り込んだ。 (んまァなんじゃ。ホントーに何処から何処まで中世貴族そのまんまじゃのォ。一晩かけて言うコト聞かせるようにしちまってもいいんじゃが) 有体に言えば手篭めにするということである。自信はあるがそれが成功するかは判らない。「勝負というのは始まった時には既に勝てるかどうか決まっているものである」を信条とするジョセフとしては、その考えはまだ非現実的だと判ずるしかない。 失敗するかも知れない手に打って出るほど窮している訳でもない。 それよりも先にやらなければならないことがある。ジョセフは呼吸を整え、波紋を練り始めた。 独特の呼吸音が静かな室内に微かに聞こえるが、ルイズは目を覚ます気配もなく昏々と眠り続けている。 まず波紋を集約させた指を壁につけ、指だけで壁を登り、天井にぶら下がって数十分そのままの体勢を維持する。 降りれば水差しからコップに水を注ぎ、逆さにしたコップから水を落とさずにそのまま維持。 水面に指をつけてコップから水を抜き取れば、プリンのようにコップの形を維持する水をかじる。 波紋を体内に流していれば食事も睡眠も必要がなくなる。これから特権階級であるルイズが自分をどういう扱いをするのかはかなり想像がつく。 (波紋やっとると老化せんからのォ。あんまりやり過ぎるとワシがスージーより年下っぽくなっちまうからあんまやりたくないが。ま、しゃーないしゃーない) ジョセフの脳裏には、ありし日のリサリサの姿が浮かんでいた。 母も結婚してから波紋呼吸を止めた(幾ら何でもずっと年を取り続けないのはおかしいのだが、リサリサは波紋を止めるのにやや未練を残していたようだ)が、それでも大概な若作りを維持していた。 母の再婚相手は、ジョセフはリサリサの弟だと思い込んだまま天寿を全うした。 いつ元の世界に帰る事が出来るかは判らないが、いつか帰る日の為に自分の体を維持し続けなければならない。 エジプトへの旅の間も、自分の老化を嫌と言うほど思い知らされた。 いつ終わるとも知れないハードな日々を潜り抜けるために、この波紋は必要不可欠なのだから。 トレーニングを一通り終えて窓の外を見ると、ほのかに空が白くなりかけてきていた。 ジョセフは脱ぎ散らかされたルイズの服を持って、下へと降りていく。 ハーミットパープルを使えば洗濯道具の在り処もすぐに判るが、勝手に出して使っていては元からここで働いている人間もいい気持ちはしないだろう。 両手で服を抱えながら水場の横で腰を下ろしてのんびりと空を見上げていると、若い黒髪のメイドが一人やってくる。ジョセフは彼女にひらりと手を挙げて、声をかけた。 「おおお嬢さん。すいませんが主人から洗濯を命じられておりましての。すいませんが洗濯道具を貸していただけると有難いんじゃが」 「洗濯道具ですか? 構いませんが……貴方はどなたですか?」 微妙に不審げな顔をする彼女に、ジョセフはニカリと笑って名を名乗る。 「ジョセフ。ジョセフ・ジョースターですじゃ。昨日からミス・ヴァリエールの使い魔となりましての。至らぬ所もあるかと思いますが、宜しくお願いしますじゃ」 ジョセフの自己紹介に、彼女はああ、と合点が行った顔をして手を叩いた。 「ミス・ヴァリエールの! 貴方が噂の平民の使い魔さんでしたか」 「ええ、わしが噂の平民の使い魔ですじゃ。宜しければお嬢さん、お名前などお聞かせ頂ければ嬉しいですがの」 ルイズの前でしていたようなボケ老人のフリではなく、普段通りの明朗快活さで会話を続け。ゆっくりと立ち上がったジョセフの背の高さに、彼女は目を見張った。 「私はシエスタと申します。シエスタとお呼びくだされば結構です」 「おおこれは御丁寧に。ではわしのことはジョセフなりジョジョなりお好きに呼んで下さって結構ですぞ、ミス・シエスタ」 ウィンクもつけて、敬称を付けて彼女の名を呼ぶ。 予想外の呼び方に、ボ、と顔を赤らめて、少しばかりモジモジしながら視線を彷徨わせるシエスタ。 「や、やですわ、そんな貴族の方々にするような呼び方なんて照れてしまいます。そんなこと言われたら、私もミスタ・ジョセフとお呼びしなければ……」 「はははは、それは失敬。他人行儀な呼び方をしてしまいましたかの。ではこれからはシエスタ、と呼ぶことにしますわい。シエスタも気楽にわしの名を呼んでもらえれば結構」 「でしたら……ジョセフさん、とお呼びいたします。年上の方ですし」 まだ赤みの消えうせないまま、そうですよね? と言いたげな顔でジョセフを見上げるシエスタ。 「ではそう呼んで下されば光栄ですじゃ。おっと、あまり立ち話で時間を取らせてしまってはいけませんな。ワシも主人の服を洗濯せねばなりませんでな」 「あ、すいません! ではこちらに……」 シエスタに道具置き場へ案内される間も、終始楽しげに会話を続けるジョセフ。 今正にこの時こそが、アメリカニューヨーク仕込の人心掌握術がトリスティン魔法学院で炸裂した、最初の瞬間であった。 To Be Contined → 戻る
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アルビオンから帰還しての最初の朝、教室にやってきたルイズとジョセフをクラスメイト達が一斉に取り囲んだ。スキャンダルに目敏い生徒達の間では、ルイズ達が学院を留守にしている間にまた何か手柄を立ててきたという噂で持ち切りだった。 ルイズ達が出立する朝に魔法衛士隊の隊員と一緒にいた所を目撃したのはキュルケだけではなく、数人いただけだった。が、それでも噂好きな生徒達に数日の時間があれば、話が尾びれをつけて大きな噂になってしまうのはある意味自然とも言える。 ルイズ達と共に学院を留守にしていたキュルケ達に話を聞こうと試みたようだが、そもそも喋らないタバサ、軽薄な態度なのに実際は余計な事はぺらぺら喋らないキュルケはともかく、人から注目されるのが何より大好きなギーシュでさえ何があったかを語らなかった。 これ以上粘っても無駄だと判断した生徒達は、朝食の場にも現れず、最後に教室へやってきたルイズを取り囲んだが、当のルイズは素っ気無くジョセフに視線をやった。 「それについては、私が説明するよりジョセフが説明した方が判り易いでしょ?」 そう言いながら、自分は生徒達の壁を掻き分けて席に付いてしまう。 確かに同じ内容の話を聞くなら、話術に長けているジョセフに聞いた方がよっぽど楽しめると判断した生徒達は一斉にジョセフの元へと集まってきた。 「――で、ジョジョ。貴方達、授業を休んでどこに行っていたのかしら? 私達に説明してちょうだい」 腕を組んで優雅に問いかけたのは、香水のモンモランシーだった。 ギーシュとの仲を取り持たれ、早いうちに赤い洗面器の会の一員になったモンモランシーだが、それでも平民と貴族との身分の差を忘れない鷹揚な態度で言葉を掛ける。他の生徒達も、「そうだそうだ! 早く聞かせろ!」と調子を合わせている。 だがジョセフの目には、偉そうな態度を崩していない生徒達は、餌を待って大きく開けた口からぴよぴよ鳴き声上げている姿と変わりなく見えていた。 「ん~~~~、どうしよっかのォー。そんなに聞きたいんか?」 「勿体ぶるなよジョジョ! 早くしないと先生が来ちゃうじゃないか!」 「そうよ、もっと早く来てくれれば良かったのに!」 そろそろ教師が来る時間だと判っていてわざと焦らすジョセフに、生徒達は焦って話を促す。 口を尖らせながらも期待に満ちた純真な目でジョセフを見つめる生徒達の背に視線をやり、ギーシュはチェッと舌打ちした。 「あーあ、本当なら僕がみんなの注目を受ける手筈だったのに」 取り囲まれてちやほやされたりされるのが大好きなのもあるが、愛しのモンモランシーまでジョセフの話を聞く為早足になっていた事もギーシュの心を少しばかり傷付けた。 ウェールズの居室で朝食を取っている際、ジョセフは、魔法衛士隊に裏切り者がいたり亡国の王子を匿う事になった今、噂好きの生徒達に対して下手に全員で黙り込むよりはそれっぽい作り話を聞かせて満足させてしまおうという提案をした。 それに対してルイズは、パンを一口大に千切りながら興味なさげに言った。 「そんなの、何も言わなければどうせ諦めるわよ。そんな事しなくたって別の面白そうな事があればそっちに興味が行くんだから」 しかしキュルケは、エビのソテーをフォークで切り分けながら笑う。 「あら、何も言わない方が却ってみんなの興味を集めてしまうんじゃない? こういうものはね、隠されると逆に聞きたくなるものなのよ。特に噂話の大好きなトリステインの貴族はね」 「ツェルプストー!」 早速声を張り上げたルイズに微苦笑を浮かべながらも、ウェールズはスープを一匙飲み下し、ふむと頷いた。 「いや、ミス・ツェルプストーの言う事ももっともだよ。私と言う厄介事を抱えている以上、僅かな綻びが大きな災いを呼ばないとも限らない。私はミスタ・ジョースターのアイディアが最良だと考える」 「う……皇太子様がそう仰るのなら……」 今にもキュルケに噛み付こうとしていたルイズも、ウェールズの穏やかな言葉に渋々矛を収めた。 「それならば他の誰でもない僕の出番だね! ああ、待っていてくれたまえ僕の可愛い子猫ちゃん達!」 「あんまりムチャな話だと誰も信じんし、ある程度は本当っぽいコトを混ぜておかんとな」 薔薇を口にくわえてクネクネするギーシュを完全無視して、ジョセフ達は作り話の内容を決めに掛かる。全員が少し考えた後、口火を切ったのはルイズだった。 「ええと、じゃあオスマン氏に頼まれて王宮へお使いに行ったって言うのはどうかしら」 「それじゃご期待に添えないわねぇ。それだけの為に魔法衛士隊の隊長様が一緒に行くとか大袈裟すぎない? 曲がりなりにもスクウェアメイジだったんだから」 「あー、んじゃ王女様の独断で吸血鬼討伐の命令受けたっつーんはどうじゃ」 「げふっ」 話に参加せず黙々と六人分のはしばみ草サラダを食べていたタバサが、突然むせた。 「あらどうしたのタバサ、慌てなくても誰もはしばみ草なんか食べないわよ」 「……問題ない」 ハンカチで口元を拭きつつ、再びサラダに取り掛かる。 「でも親愛なる級友の皆様は、ゼロのルイズが吸血鬼を倒したなんて話を信じるかしら」 「ゼロって言うな!」 「んじゃこうするか。姫様が行幸されてる間に、途中の村から『村人が次々と姿を消している、もしかしたら吸血鬼かもしれません』という訴えを聞いたことにしよう。じゃが行幸の最中じゃから今すぐ動けるのが御付の魔法衛士と、昔の友人だけだった。 で、吸血鬼かと思って調べてみたら実は吸血鬼を騙った人攫いの山賊じゃったと」 「げほっ! げほ、かはっ!」 またむせたタバサの背を、キュルケがぽんぽんと叩いてやる。 「どうしたのよタバサ。もしかしてドレッシングの酢が効き過ぎてる?」 「何もない……気にしないで」 事ここに至り、タバサは休みなく動いていたフォークとナイフを一旦止める。 もしかしたらジョセフは、何か突き止めているのではないかと言う疑念がタバサの中に芽生えた。読心能力のあるハーミットパープルでついうっかり自分の事情を知ってしまう可能性もないとは言い切れない。 結果から言えば、タバサが食事を中断したのは正解だった。 ジョセフがゲラゲラ笑いながら提案した作り話は、その山賊の一人が昔ルイズの屋敷で働いていた使用人だったり、山賊をひっ捕らえたのはいいがその裏にミノタウルスがいたり。 そうかと思えば事件の真の黒幕は村に隠れ住んでいた年端も行かない子供が吸血鬼でした、などなど。 ルイズはあまりにも突拍子もなく脱線したジョセフの作り話に呆れていた。 「そこまで行くと明らかにウソですって言ってるようなものじゃない。そりゃ吸血鬼もミノタウルスもいないことはないけど、そこかしこにホイホイいるものじゃないんだから」 キュルケはお腹を抱えてテーブルをバンバンと叩いていた。 「もうダーリン最高、ホラ話もそこまでいくともう笑うしかないじゃない!」 ウェールズはキュルケのようにオーバーアクションで笑うことはないものの、食後の紅茶を飲みながら、ほっといたらどこまでも脱線し続けるジョセフのホラを優雅に笑って聞いていた。 ギーシュはさっきからずっと「さあ子猫ちゃん達! もっと僕をッ! 隅々まで舐めるように僕を見てッ!!」と想像の大観衆の視線を一手に集めてくねくねくねくねしていたが、そんな明るい部屋の中で一人、タバサは背中にゴゴゴゴと奇妙な効果音を発生させていた。 (どこまでッ! どこまで知っているッ!?) タバサの裏の事情を知らない無関係の人間が、そこまでピンポイントに狙った冗談を連発出来るはずがないのだが、ジョセフはこれっぽっちもタバサの事情なんか知らなかった。 十二匹のサルにタイプライターをタイプさせ続けたら宇宙の終焉までにはシェイクスピア全集が書き上がる、という話もあるが、ジョセフは早々とタバサの冒険を上梓していた。 普段通りの無表情の仮面の下、ジョセフへのこれからの対処法と、(彼なら本当に知っていたとしたらこんな無用心に情報を明かすとは考えられない……!)という思考のせめぎ合いに翻弄されていることなど、流石のキュルケでも察することは出来ない。 愉快なジョセフの漫談も、授業の時間が近付いてきてしまってはいいところでケリをつけなければならない。 結果、「吸血鬼が出たと訴えてきた村へ至急魔法衛士と友人を派遣したら、実際は人攫いの山賊がいただけで特に問題なく山賊を討伐して帰ってきた」という無難な話で収まった。 実際の旅でも、山賊ではないがラ・ロシェールの傭兵を撃破した実績はあるのであまり外れた嘘でもない。 この件は全てジョセフが説明する、という事に約一名を除いて全員の同意を得た上で、アルビオン行のメンバーが教室に向かい、現在に至るという訳だった。 ジョセフが語って聞かせるちょっとした冒険譚は、クラスメイト達の中で増幅された噂話が築き上げた大手柄に比べたらとてもささやかなものだが、ジョセフがちょくちょく織り交ぜる大嘘の痛快さが彼らの不満を解消する役目を果たしていた。 「じゃがわしの手札はブタ! 向こうはそれが判っているはずなのにわしが次々と積み上げる金貨の山に恐れを為して滝のように汗を流すわ椅子から転げ落ちるわ失神するわ!」 朝食の席ではなかった新たな展開が繰り広げられている真っ最中の人だかりを、なおも未練がましそうに見つめているギーシュ。 いつも通り本を読んでいる振りをしながらも、横目の視線が油断なくジョセフを捕らえているタバサ。 そしてもう一人。人だかりとジョセフに落ち着きなく視線を走らせながらイライラと親指の爪を噛んでいるルイズがいた。 (何よ何よっ! だらしなくデレデレしちゃって!) いつも放課後にしているように、クラスメイト達に笑い話を聞かせているだけの姿が、どうしても今日のルイズには若い少女達に囲まれて喜んでいる様にしか見えない。当然、少女だけでなく少年もいるが、流石に少年達へは嫉妬を向ける事まではなかった。 (ジョセフは私の使い魔なのよ! ほらもうそろそろ授業じゃない、早く返しなさいよ!) 自分の使い魔を大切にするのは半ばメイジの義務のようなものだが、それを考慮に入れてもルイズの嫉妬っぷりは大したものである。 教室の騒ぎには頓着することもなく化粧を直しているキュルケは、禍々しいオーラを立ち上らせているルイズを一瞥してはぁと溜息をついた。 結局盗賊を捕まえたが、しかし事件解決の為に火竜山脈へ極楽鳥の卵を取りに行かなければならなくなったところで話は終わった。ミスタ・コルベールがやってきたからだ。 それぞれ席に戻る生徒達と同じように、ジョセフもルイズの隣の席に戻ってくる。 やっと自分の側に戻ってきた使い魔の暢気な横顔に怒りが込み上げてくるものの、それをぐっと飲み込んでギギギと視線を前にやった。 さてコルベールの授業だが、今日は何やら奇妙な物体をレビテーションで運んできたのを見た生徒達は各々「ああ、今日は休講か」と判断する。 彼は生徒の教育に冷淡というわけではなく、むしろ情熱を持った部類の教師ではあるのだが、それ以上に自分の研究に対して非常な情熱を傾けている。 結果、自分の授業の時間をちょくちょく研究の成果を披露する場にしてしまうことは珍しいことではなく、私語にかまける生徒達をほったらかしにしたまま自信たっぷりに高説を繰り広げる光景が展開されるのだ。 今日も今日とて金属の筒やパイプやふいごなんかが組み合わさった装置を見たルイズは、授業時間が無駄になることを悟りつつも、とりあえずはコルベールの説明を聞く事にした。 コルベールが滔々と語る言葉によれば、火の系統は破壊だけではなくもっと別の使い様があるはずだと言う。メイジが自分の得意とする系統を殊更に褒め称えるのは珍しいことでもないし、現にコルベールも炎蛇の異名を持つ火のトライアングルメイジである。 しかし彼は他の火系統のメイジとは違い、火の魔術の本領とも言える破壊に関してはあまり重要視していない節が見られた。むしろ他の系統と比較するとやや劣る応用性を火の魔術に求めようとしていたのだった。 そのせいか、他の火系統のメイジからは多少なりとも軽んじられている。同じく火系統のトライアングルメイジのキュルケは、コルベールの授業を頭から聞くつもりがなかったりもする。 油と火の魔法を用いて動力を得ると自信満々に発明した装置を披露したコルベールだったが、如何せんその装置が何をやるかと言えば、装置の中からヘビの人形が出たり入ったりするだけだった。 呆れた顔をしながらも一応は最後まで付き合う生徒の人数も最近では減少の一途を辿っており、最近では大体の生徒がさっさと見切りを付けて近くの生徒達と実りある私語に没頭している。 コルベールが自慢の発明品を披露した際の日常的な反応だが、当のコルベールは何度も繰り返された状況に悲しげに眉を寄せながらも、それでも懸命に説明をする。 それに反応する生徒は更におらず、反応があったとしても「そんな装置使わなくても魔法使えばいいじゃない」という……ハルケギニアでは至極真っ当な返事だった。 勉強が嫌いではないルイズとしては、こんな益体もない講釈を語られる暇があったらもっと魔法の勉強をしたいというのが本音である。 せっかくの授業時間が無駄になった、と頬杖付いて溜息をつこうとした瞬間、横から大きな拍手が聞こえた。 不意の拍手に驚いてそちらを見れば、ジョセフが立ち上がって拍手をしている……つまりスタンディングオベーションの形を取っていた。 「ブラボー!! おお……ブラボー!! 素晴らしいッ、それこそ正に『エンジン』ッ!」 教室中の視線を再び一手に集めながらも、ジョセフは心からの賛美を惜しまず手を打ち続けていた。 「えんじん? ええと……君はどなたかね?」 突然浴びせられる賛美の声に、コルベールも虚を突かれてジョセフを見た。 「おっと、わしの名はジョセフ・ジョースター! そんなことよりそいつぁエンジンじゃ、もわしのいた国では、そいつを使ってミスタ・コルベールが説明した通りのことをしとるんじゃ。いや、それにしても素晴らしい!」 「ちょっとジョセフ! いきなり何目立つようなことしてるのよ!」 ルイズが慌ててジョセフのシャツの裾を掴んで座るように手を引いたものの、思いがけないものを目撃して興奮したジョセフはビクともしない。 「ミスタ・コルベール! そいつはアンタが一から作ったんですかな!? もし良ければそいつについてもっと話をしたいんじゃが!」 それどころかルイズに裾を掴まれていたことさえ気付かず、そのまま主人の手を離れて教壇のコルベールへと早足で近付いていき、そこから装置の成り立ちや仕組みについて生徒達を完全に放置してハゲとジジイだけが大盛り上がりする、奇妙な光景を展開させる。 さっきまで興味なさげに聞いていた生徒達も、「おい、ジョジョがあれだけ食いつくってことはあの装置はすごいものなんじゃないか?」と、先程とは違う食い付き方を見せて周囲のクラスメイト達と盛り上がり始めていた。 だがルイズは一人、ついさっきまでシャツの裾を掴んでいた手をじっと見つめた後、周囲の盛り上がりをよそに机に突っ伏して目を閉じ、考えるのを止めた。 結局授業時間が終わるまでジョセフとコルベールの会話は続き、今日一日の授業を自習にしてジョセフを自分の研究室へ招待する事を提案されたジョセフがそれを快諾した所で、ルイズはむくりと身を起こし、少しばかり怒りを込めてジョセフを見やる。 主人が自分をじとりとした視線で見つめているのも気にすることなく、あっけらかんとした声を掛けた。 「おうルイズ、わし今からコルベールセンセんトコに行くことになったんじゃが来るか?」 「………………ええ、ご一緒させて頂きますわ、ミスタ・コルベール」 今にも口から飛び出しそうになった怒りをしっかり飲み込んで、精一杯の儀礼的笑顔を貼り付けて、嫌味たっぷりの挨拶を引き攣りながらも言い切った。 「おおそうかね、ミス・ヴァリエール! 是非来てくれたまえ、ミスタ・ジョースター! 見学は大歓迎だよ!」 「よしよし、んじゃあそうなったら善は急げじゃな!」 しかしハゲとジジイは少女の刺々しい皮肉を察するどころか完全に気付く気配もなく。大張り切りでこれからの予定を決定してしまう。 そのまま三人は本塔と火の塔の間にあるコルベールの研究室へ向かった。 「さあここが私の研究室だ。初めは自分の居室で研究をしていたのだがね、研究には騒音と異臭は付き物でね。隣の部屋の連中から苦情を頂いてしまった」 「ふうむ、実に趣のある研究室じゃなあ」 ジョセフが感心したように言うが、虫の居所が悪すぎるルイズはもっと率直な意見を言い放った。 「ただのボロい掘っ立て小屋じゃない」 研究室という言葉をこの掘っ立て小屋に適用するなら、その辺りの物置も研究室になりかねない。 「いやいやルイズ、実に悪くない。このハルケギニアであんなエンジンを一人で一から作るような研究者の拠点としちゃー実に上出来じゃぞ?」 コルベールが開けたドアから三人が小屋に入るが、途端に匂った異臭にルイズは眉間の皺を更に深めて後ずさって鼻をつまんだ。 「な、なによこの臭い!」 「なあに、臭いはすぐに慣れるものだよ」 小屋の中は棚や机の上に所狭しと並ぶ薬品のビンや試験管に雑多な研究器具があり、壁一面の本棚にこれでもかと本が詰め込まれ、その他にも天体儀や様々な地図、オリの中にヘビやトカゲに奇妙な鳥と、ガラクタと紙一重な混沌とした物品で溢れていた。 それに埃やカビが混ざり合って、貴族育ちのルイズがついぞ嗅いだ事のない悪臭が醸し出される。ルイズは室内に入ろうともせず、外から抗議の声を上げた。 「レディにこんな鼻が曲がりそうな臭いの中に入れと仰るんですか、ミスタ!」 ルイズも目上の人間への礼儀を十分身に付けている。普段ならもう少し穏便な抗議をしていただろうが、コルベールは気分を害した様子もなく苦笑して肩を竦めた。 「ご覧の通り、御婦人方にはこの臭いは非常に不評でね。見ての通り、私は独身である」 「はは、まーしょうがなかろうな。主人にこの匂いは刺激的過ぎるようじゃな、一味違うというヤツじゃからのう」 ジョセフもコルベールと会話を続けるうちにいつの間にかタメ口を利いていたが、コルベールは平民の無礼な態度を気にする様子を見せない。研究の理解者が突然現れた喜びの他にも、そもそも身分の差を気にも留めていないようだった。 「まー、あんな見事なものを見せてもらったんじゃ。まだまだ改良の余地はあり放題じゃが、一人でエンジンを作った栄えある技術者じゃからな。そういう人には、わしとしても協力をしたいとは思うんじゃよ」 そう言った瞬間、ジョセフは手袋を脱ぐとかちゃりと左腕を外す。 「ちょ!? いきなり何してんのよ!?」 外から中の様子だけは伺っていたルイズが驚きの声を上げるが、ジョセフは取り外した義手をぶらぶらと揺らして見せた。 「いやー、ここに来てからコイツのメンテナンスをちっともしてなかったんでな、ちょいとキリキリ言い出してきたんじゃよなァー。まあコルベールセンセは最初にわしの左手見とるし、エンジン組める実力があるならちょいとメンテも頼めるかのうと」 そしてルイズからコルベールに視線を戻し、コルベールに義手を差し出す。 「わしのいた国でも最高級の義手じゃ。コイツの仕組みは次のエンジンを設計する時には大いに参考になるじゃろうからな。そうそう、あんまりバラしすぎて元に戻せませんでしたッつーのはカンベンしてくれよ?」 ぱちり、とウィンクしてみせるジョセフから、コルベールは興味津々な様子で義手を受け取った。甲に浮かんでいたルーンを見て、やっとコルベールはジョセフが伝説の使い魔ガンダールヴだということを思い出した。 「ほう、これは……まるで彫刻のような造形だな。どれ、少し分解して仕組みを確認させてもらおう」 床に置かれていた工具箱から幾つか工具を取り出して、机の上に置いた義手の分解に取り掛かるコルベール。作業に入ってさしたる時間も置かず、コルベールの顔を驚きが占めた。 「これは……何という事だ! まさかとは思うが、これの動作に魔法は一切使われていないのかね!?」 「おうともさ、わしの懇意にしてる技術者の汗と涙の結晶じゃ」 スピードワゴン財団謹製の義手は、地球でもオーパーツ並の完成度を誇る代物である。金属質な外見も手袋を被せてしまえば、生身の手と同じように日常を送ることが出来る。 かつてルーンを確認した時は、義手が稼動する所も見ていなかったが、こうして中身を見ればこれがとてつもない技術で作られている事がすぐに理解できた。 「ふむ、様々なパーツを組み合わせることによってこんなに自然な動作で人間の手を再現するとは……。すごいな、君の国ではこんな技術が普通にあるのか。一体どこの国の生まれかね」 コルベールの問い掛けに、外から中の様子を伺い続けているルイズの顔色が変わる。 「え、ええとミスタ・コルベール! 彼はその、ええと、東方のロバ・アル・カリイエから召喚されたんです!」 「なんと! あのエルフ達の住まう地の遥か向こうの国からかね! 召喚されて来ているのだから、エルフの地を通らずともここにやってこれた訳か……なるほど、東方の地では学問、研究が盛んだと聞いた。かの国はこんなに技術が進歩していたのか」 咄嗟にルイズが言い繕った言葉に納得したコルベールに、ジョセフが続けて言った。 「ああ、実はわしこっちの世界の住人じゃないんじゃよ」 ルイズとコルベールの動きが、時を止められたように止まった。 「何と言ったね?」 「あ、ああああ、あんた何を言って……!」 豆鉄砲を食らったような顔をするコルベールと、狼狽するルイズに構わずジョセフは言葉を続けていく。 「ハルケギニアとは違う別の世界から主人に召喚されてこっちに来たんじゃ。この前フーケのゴーレムブッちめた破壊の杖も、そもそもわしの世界の代物なんじゃよ」 あっさりと自分の素性をバラした使い魔に駆け寄ると、ルイズは渾身のチョップ……いや、貫手と称していい一撃を脇腹目掛けて打ち込んだ。 「ぐはっ!?」 「こ、こ、こ、このボケ犬うううううううううう!! 何ご主人様がかばってあげてるのに自分からいきなりバラしちゃうのよ!?」 はーはーと息を荒げてピンクの髪から湯気を立ち上らせるルイズに、ジョセフは脇腹擦って口を尖らせた。 「んなコト言われてもルイズよォー、いくらロバ・アル・カリイエとやらがこっちじゃ未知の国じゃっつってもそんな取って付けたウソなんかすぐバレちまうぞ。そんなモン、わしがこの義手を渡して分解させるって時点で自分の素性くらいバラすつもりじゃったしよ」 そこからきゃんきゃんわめく主人を適当に宥めているジョセフを、コルベールはまじまじと見つめてから「なるほど」と、納得したように頷いた。 「おやセンセ、思ったより驚かんな」 「そう見えているかね? だが確かにそうだ、君がミス・ヴァリエールの使い魔になってからの言動や行動を鑑みるに、ハルケギニアの常識の範疇を越えた所に君は存在している。そうか、それならぱ合点がいく。そうかそうか……これは面白い」 「ふーむ。まあ一人でエンジン作っちまうのもそうじゃが、センセも大概こっちの世界の常識を踏み越えとるタイプじゃないかのォ」 「ははは、常々そう言われるよ。そのせいで齢四十を越えても嫁の一人すら来ない。だが、このコルベールには信念があるッ!」 「信念かね」 「そうだ。この世界の貴族は魔法をただの道具……せいぜいが使い勝手のいい箒程度にしか考えていない。だが私はこう思うのだ、魔法は多様な可能性を秘めている。伝統や格式に捕われていては見えない、光り輝く黄金のような価値が魔法には存在する!」 力強く言い切るコルベールに、ジョセフもまた感じ入って頷いた。 「その通りじゃよセンセッ! わしの世界でも人間は長い年月をかけてコツコツと進歩してきた! その中で世界を進歩させてきた先駆者は、周りから笑われ理解されずとも自分の信じる道を歩んできたものじゃからなッ!」 「そうか、そうやって進歩した技術の結晶がこの義手という訳か! 正直に告白しよう、私は自分の研究が果たして何処に繋がるのかと不安になったこともある! だが君の話を聞いて、私の信念が間違っていないことを知ったッ! ふむ、異世界か……ハルケギニアの理だけが全ての理ではないということか! なんという面白さ、なんという興味深さ! 私はそれをもっと見たい、もっと知りたいッ! 見知らぬ世界で作り上げられた技術にハルケギニアの魔法を加えれば、まだ見ぬ新たな技術が生まれるだろう! 私の魔法の研究に、新たな一ページが書き加えられることだろう! だからミスタ・ジョースター、困ったことがあったら何でも私に相談してくれたまえ! この炎蛇のコルベール、いつでも力になろう!」 二人だけで大盛り上がりするハゲとジジイを眺めていたルイズは、やがて諦めの溜息を深々と吐いた。 男と言うものは群がると時々理解できない話題で自分達の世界を作ってしまう。いつぞやギーシュとヌーベル・ワルキューレを作る相談をしていた時にも似たような光景を見た記憶があった。 ルイズはこれ以上の干渉を断念して、黙って学生の本分に戻ることにした。 昼食時、ウェールズの居室へ昼食を取りに来たジョセフがキリキリしなくなった義手を嬉しそうに見せびらかすのにも、ルイズはただ大きな溜息だけで答えたのだった。 To Be Contined →
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ギリ、と歯噛みをしながらも、ジョセフは自分に襲い来る無数の魔法を見……ハーミットパープルに絡め取ったワルド達に波紋を流すことさえ出来ず、掴んだ勝利をむざむざ手放す他無かった。 自分に飛来する魔法を吸収する事は出来る。だが、無数に飛んでくる魔法を吸収しつつ、ハーミットパープルでワルドの捕獲を継続するのは随分と難しい。 ハーミットパープルを解除し、デルフリンガーを構えたまま素早く魔法の嵐から身をかわし、飛びずさる。そのせいでワルドからかなり距離を離す事となってしまった。 「いい判断だ相棒! 俺っちもあんだけの数を全部吸い込めたかどうかはイマイチ記憶が無いんでな!」 「せっかく勝ったっつーのにッ……あんまり有能なのも考えモンじゃなッ!」 ニューカッスルのメイジ達に憎まれ口を叩きながらも、絶対的有利が圧倒的不利に変わったのは何ともし難い。 これが隠者の結界から解放された四体のワルド達だけでも厳しいのに、周囲から集まってくる三百のメイジ達を向こうに回して勝てるとは思えない。 幾らジョセフと言えども、目は前にしかついていない。横も後ろもカバーし切れない。 しかもワルドは、これで自分が直々に手を下さずとも、ニューカッスルのメイジ達に後始末を任せればよくなったのだ。例えジョセフかメイジ達のどちらが勝とうとも、レコン・キスタに利する結果になるのだから。 魔法に巻き込まれないように素早く距離をとるワルド達には、窮地を見事脱した会心の笑みが浮かんでいた。 対するジョセフは、この場での戦いを既に諦め、目は素早く逃走経路を探し―― 不意に、主人の姿を見つけた。 「騙されないでっ! そこの男……そのワルドこそが本当の裏切り者っ! レコン・キスタの暗殺者よッ!!」 「ルイズ!?」 「ルイズ……!」 驚きで名を呼んだジョセフと、忌々しげに名を呼んだワルドの声が重なった。 ルイズは「部屋で待っていろ」と言うジョセフの後を追いかけたくなる衝動にかられ、危険だと判っていても爆発音のした天守へと向かってしまった。 しかし今はそれが功を奏した。 矢継ぎ早に呪文を唱えていたメイジ達が突然現れた第三者の少女の言葉に詠唱を止めたのを見て、ルイズは必死に走り出し、両腕を大きく広げてメイジ達の前に立ちはだかった。 「私はトリステイン王国ヴァリエール公爵家が三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール! あの老人は私の使い魔、ジョセフ・ジョースター! あのワルドこそがウェールズ皇太子の暗殺を謀った張本人! 賊の奸計に乗せられないで!」 息せき切って言い放つルイズの言葉が、メイジ達に戸惑いを走らせた。 「ど、どういう事だ?」 「ヴァリエール……あのヴァリエール公爵家か!?」 「私に聞かれても……!」 ルイズの言葉は効果覿面、メイジ達に動揺が巡る。 平民の言葉など斟酌する必要もないが、それがアルビオンでも知られたヴァリエール家令嬢の言葉となれば話が違う。 しかも彼女が言うには、信じ難いがあの老人が使い魔だと言う。駆けつけた中にはイーグル号に乗っていた船員もいる為、老人が使い魔だという事は真実と受け止める者も少なからずいる。 俄かに信じられる話でもないが、少女の言い分が正しいとすれば、メイジとして軽々とあの老人に手をかける訳には行かなくなった。 まして二人の貴族の言い分が真っ向から対立している今、どちらに味方すればいいか、と言う難題にすぐさま答えを出せる者がそうそういる訳でもない。「とりあえず両方殴ってそこから話を進めよう」などと思い切った大胆な思考が出るのも期待出来ない。 結果、メイジ達は如何様に動いていいか判らず、周囲の仲間達と顔を見合わせてどうするのか相談せざるを得なくなった。 ひとまずジョセフから危険が去ったのを見計らい、続けてルイズは自分に出せる精一杯の大声で叫んだ。 「ジョセフっ!! 今よ、ワルドをやっつけて!!」 言われずとも、ジョセフは既に動いていた。 同時に、ワルド達も。 だがジョセフの両眼と切っ先がワルドに向いていたのに対し、ワルドの杖は全てがジョセフに向いていなかった。一人の杖が向くその先には――ルイズ! その意味が判らないジョセフではない。 「貴様――ッ!」 ワルドの魔法を止めるには、デルフリンガーは無論、ハーミットパープルですら遠い。先ほど飛び退いたせいで、彼我の距離が10メイル弱離れていたからだ。 完成したウインドブレイクがルイズに放たれれば、ただの少女でしかないルイズは避けることすら許されず、まるで羽毛のように吹き飛ばされ、地面に叩きつけられ、転がった。 「ルイズゥゥゥーーーーーーーーーッッッ」 轟く、としか形容できないジョセフの雄叫び。 義手に刻まれたルーンが太陽にも劣らない光を放ち、デルフリンガーもルーンに負けぬほどの眩い光を放った。 (き……切れた、相棒の中でなにかが切れた……決定的ななにかが……) デルフリンガーでさえ戦慄を覚えるほどの心の高まり。 目の前で主人を傷付けられたジョセフの怒りは、並大抵のものではなかった。 ぞくり、とデルフリンガーに嫌な予感が走る。 「おい、ちょ、待て相棒! 俺は波紋やスタンドにゃ対応してな――」 それ以上デルフリンガーは言葉を続けられなかった。 一瞬でデルフリンガーを覆いつくしたハーミットパープルが、炎を吹き上げたからだ! 「うあっちぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!?」 「我が友モハメド・アヴドゥルの技ッ!!」 剣が炎を吹き上げたのを目の当たりにし、四人のワルドが身構えようとし。臨戦態勢を整えられたのは、三人だけだった。 10メイルあるはずの距離から、ワルドの目を以ってしても反応できないほどの速度で伸ばされた炎の茨が、一人のワルドを燃やし尽くしていたからだ。 「何?」 予想だに出来ない事態に、ワルド達の口からは呆けたような声しか出なかった。 「魔術赤色の波紋疾走(マジシャンズレッド・オーバードライブ)!!」 燃え上がるワルドを一顧だにせず、デルフリンガーからハーミットパープルを切り離したジョセフは――ワルド達の視界から、消えた。 一瞬の間を置いて現れたジョセフは、一体のワルドの腹に深々と剣を突き刺していた。 だが、真に驚くべきことは別にあった。 腹を突き貫かれているはずなのに、その遍在は『既に全身を突き貫かれていた』のだ。 残りのワルド達は、ジョセフの煮えたぎる溶岩のような視線でねめつけられた。 「次にお前は『馬鹿な、一体いつの間にそれだけの攻撃をした』と言う」 「馬鹿な!? 一体いつの間にそれだけの攻撃をし……はっ!?」 「我が友、ジャン=ピエール・ポルナレフの技! 針串刺しの刑ッ!!」 剣を勢いよく振り上げた風圧が、遍在の名残を掻き散らす。 ここに至ってワルドは、目の前の男が怪物以外の何物でもない事をやっと悟った。 並の手段では到底勝つどころか、自分の命さえ拾うことが出来ない――! 「こ……この、バケモノがぁーーーーーーーーーーーーっっ!!」 それでも恐慌に陥らずなおも戦闘を続行しようとしたのは、ワルドにたった一片残された貴族の矜持であったかもしれない。 それでいて勝利の為に手段を選ぶなどという悠長な考えを打ち捨てる。 残り一体だけとなった遍在のワルドは、決死の覚悟で低い体勢でジョセフに急接近すると、杖での渾身の刺突をジョセフではなく、デルフリンガーへと向けた! 真の能力を開放しているデルフリンガーはエア・ニードルの風の渦さえ吸収するが、それに構わず打ち合わせた杖を内側から外側へ、絡め取るように押し上げる形で円を描き――ジョセフの手から力ずくで剣を弾き飛ばした! 「いくら人間離れしていようが肉体は人間のそれだな、ガンダールヴ!!」 人体の構造上、関節の稼動範囲には限界がある。右手首を掌を上向けるように回し、更に外側へ向かって捻ってしまえば自然と柄を握る指の力が緩み、そこにもう一押しすれば剣を弾き飛ばすのも容易い。 だがワルドはなおも次なる手を用意していた。 剣を弾き飛ばしたワルドは、渾身の突きで崩れた体勢を立て直して杖での必殺の一撃を加える為の僅かな隙さえ、ジョセフに渡すつもりはなかった。 この抜け目の無い使い魔は、一呼吸の間を与えればそこから勝利をもぎ取る男……故に、ワルドは手段を選ばなかった。選べなかった! ワルドはそのままジョセフの腰へタックルを掛け、自らの身体そのものでジョセフの動きを封じにかかる! 「ぬうッ!?」 それを避けようとするジョセフを、ほんの、ほんの僅かな差で捕らえ……しがみ付く! 「私の勝ちだっ、ガンダールヴ!!」 後ろに飛びずさった本体のワルドは、既に魔法の詠唱を完成させようとしていた。 その魔法は、これまでのたびでジョセフに唯一にして多大なダメージを与えた、『ライトニング・クラウド』! 魔法を吸収するデルフリンガーを弾き飛ばし、再びジョセフが剣を手にするよりも早く必殺の魔法を叩き込む――ワルドがジョセフを倒す手段は、それしか存在しなかった。 その為に貴族として、スクウェアメイジとして恥ずべき泥臭い手段を用いなければならない所まで追い詰められた。 だがそれを悔い、躊躇える余裕など存在しない。 たった一体残った遍在を捨て石とし、見苦しく使い魔にしがみつく己の背も、今の彼には屈辱の具とすら成り得ない。 今のワルドにあるのは、圧倒的な怪物に全身全霊を懸けて立ち向かわねばならぬ、勝って生き延びろと生存本能に追い立てられる焦燥感、ただそれだけであった。 (――まだか! まだ完成しないのか!?) 唱え慣れたはずの魔法が、余りにも長く感じられる。 あと五節、四節、三節――! 焦りながらも、詠唱を間違える失態など犯さない。 腐り果てようとも、魔法衛士隊の隊長を務めた実力は健在だった。 使い魔は死力を尽くしてしがみ付く遍在を振り払うことも出来ず、一歩も動けないまま―― (勝った! 勝ったぞ、ガンダールヴ!!) 残り、二節! 「ライトニング――」 残り、一節! その瞬間、ジョセフを押さえ付けている遍在が消し飛んだ。 だが、あの距離では踏み込もうとする速さより、瞬きすら出来ぬほんの僅かな差で、完成した電撃がジョセフを焼き尽くす! 「クラウ――」 ジョセフは、一歩も動かなかった。動けなかった。 ワルドは……魔法を完成させることが、出来なかった。 勝負が決したその時、向かい合う二人の男からは、奇しくも左腕部が失われていた。 だが、失った理由は大きく異なる。 ワルドは、ジョセフの手によって、左腕を肘の下から吹き飛ばされた。 ジョセフは。ガンダールヴの能力で非常に強化された波紋で、自らの義手をワルドへ向けて撃ったのだ。 貫手と呼ばれる手刀の形で放たれた義手には大量の波紋が流されており、音さえ超える速度で放たれた義手がワルドの腕を切り飛ばした瞬間、その傷口から奔った波紋が彼の詠唱を止めたのだった。 それに加えて必中を期する為に義手にはハーミットパープルが絡み付き、その片端はジョセフの腕と繋がっていた。 ワルドの遍在の名残を媒介としたそれは狙いなど付ける間もないあの刹那、標的を狙い違わず打ち抜くホーミングの役割を果たすと同時に、目的を果たした義手がはるかかなたに飛んで破壊してしまうことの無い様に留める命綱の役目も果たしていた。 空中で発射の速度を殺しながら、再び義手はハーミットパープルに導かれてジョセフの左腕へ戻っていく。 思い出したように、ワルドの傷口から血が垂れ、噴出す頃、ワルドの口から奔ったのは呪文などでは、ない。 「うおぉぉぉぉおおおおおぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおお!!?」 野獣めいた、咆哮。 「腕が、腕が!? 私の、腕がああああぁぁぁぁああああ!!?」 この光景が現実でないことを確かめようと、血の迸る傷口を、左腕があるはずの場所を抑える。 しかし生まれてから共にあった左腕は、既に其処にない。 少し横を見れば、『かつて左腕であった肉体』が転がっている。 「ばっ……馬鹿な、馬鹿なあああああああ!!!!」 義手を戻し、五指が動くのを確かめたジョセフは、叫びを上げて蹲るワルドを見つつ、今頃になって額から噴出した冷や汗を右の袖で拭った。 「今のはマジで危なかったわいッ……タックルかけたのが遍在じゃなかったら、わしも死んどったぞ」 今一体何が起こったのか、改めて説明することにしよう。 剣を弾き飛ばされ、ワルドにタックルを掛けられたジョセフは、辛うじて足の裏に吸着する波紋を流し地面に足を吸い付けて転倒させられるのはこらえた。 だがもう一体のワルドが呪文を唱えているのが見え、ジョセフは息を呑んだ。忘れるはずが無い、あれこそ自分の右腕を焼いた『ライトニング・クラウド』。 今、ただデルフリンガーを自分の手から離す為だけに放たれた乾坤一擲の攻撃、形振り構わぬタックル。 その全てが、如何なる手を用いてでもジョセフを殺害する決意の表れだった。 自分にしがみ付くワルドと、飛び退いた場所から魔法を詠唱するワルド。 剣を弾き飛ばした理由を斟酌するまでも無い。攻撃手段を奪う為ではなく、防御手段を奪う為。 この状態を打破するには、手段はただ一つ。ワルドの魔法が完成する前に詠唱を妨害するしかない。 この状況で使える武器は、左右の腕に一つずつ。これだけあれば、どうにか出来る。 まずジョセフは両腕に波紋を流す。一つ目の武器、左腕の義手。これを波紋で射出してワルドに波紋を流せば魔法は止められる。狙いを付ける余裕が無いのは、ハーミットパープルで誘導をかければなんとでもなる。 そして、『右腕の武器』に波紋を流す。 右腕の武器とは……意外! それは包帯ッ! (こっちが本当の我が師にして我が母エリザベス・ジョースターの技ッ! 蛇首包帯ッ(スネークバンテージ)!!) ワルドに焼かれた右腕に巻かれた包帯、それは立派に波紋を流す武器となる。波紋で硬質化した包帯を操り、自分にしがみ付くワルドを突き刺して流した波紋で一気に遍在を吹き飛ばす! そして自由になった左腕をワルドに向け――撃ち放つ。 シュトロハイムと共に漁船に救出されて館で療養していた時、シュトロハイムが用意した数々の義手の一つにあった機能を、まさか今になって波紋で代用する破目になるとは思わなかったが。 「……我が友、ルドル・フォン・シュトロハイムの技ッ。有線式波紋ロケットパンチッ! ナチスの技術は確かに世界一だったかもしれんなッ!」 あの時は超高速で義手を発射出来る能力などいらなかったので、とりあえず丁重に辞退(ただ何故かシュトロハイムと大喧嘩する切っ掛けになった)したが、そのアイディアがジョセフの命を救ったことのは確かな事実だった。 しかもほんのコンマ数秒でもワルドに到達するのが早まるよう、指先を伸ばすことにより、長さを伸ばすと共に空気抵抗を減らした事が功を奏した。 それと同時にワルドが一つ、致命的なミスを犯していたのも幸運だった。 もし剣を弾き飛ばし、タックルを仕掛けるのが遍在でなく本体であったなら、ワルドとジョセフは今頃ライトニングクラウドで焼かれて良くて瀕死、運が悪ければ即死の憂き目にあっていたことだろう。 しかしワルドは最後の最後で、自分の命を惜しんだ。戦いの場において自らの命を惜しむ行為に走って勝てるほど、戦闘の潮流は甘くは無かったという事だ。 もし肉体を持つワルドがしがみ付いていれば、蛇頭包帯でワルドを倒したとしても、左腕を自由にし切ることが出来ず、波紋ロケットパンチはワルドの魔法を妨害できなかっただろう。 風の遍在であり、波紋で吹き飛ぶ肉体しか持っていないワルドがしがみ付いたことにより、波紋で止めを刺した瞬間にジョセフの自由が取り戻されたのだから。 様々な要因と強運、そして戦いの年季の差で勝利をもぎ取ったジョセフは一歩、また一歩、とワルドへゆっくりと近付いていく。 ルイズが吹き飛ばされてから、客観的に見れば余りに短い時間。月は僅かにもその位置から動いておらず、この戦いを見守ったメイジ達にとっては、どのような攻防があったのかさえ理解している者はいない。 もはや意味を成さない呻きしか上げられないワルドを、なおも怒りの収まらない目で見下ろす位置に立ったジョセフは、静かに言葉を紡いだ。 「今のがルイズを侮辱されたわしの分だ、ワルド」 そしてワルドの長い髪を引き千切らんばかりに無理矢理引っつかんで立ち上がらせると、空いている右腕でワルドの左頬に鉄拳を叩き込んだ。 「うげぇえええええっ」 鼻血さえ噴き出すが、いつの間にかワルドの首に絡み付いていたハーミットパープルが、倒れることさえ許さない。 「これは貴様が裏切ったわしの友人、アンリエッタ王女殿下の分!」 続いて左腕が、ワルドの顔面を歪ませた。 「これが貴様が暗殺しようとしたウェールズ皇太子の分!」 「や、やめ――」 左腕を吹き飛ばされ、二発の鉄拳を叩き込まれたワルドは既に戦意さえ喪失しているのは明白だった。 「そして今からのは全部ッ!」 そんな些細な事には構いもせず、ジョセフは両手を固く握り締め―― 「貴様に裏切られたルイズの分じゃあーーーーーーーッッッ」 「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ」 ジョセフの拳が目にも留まらぬ速さで連打され、その全てがワルドの身体に減り込む。 倒れることも許されない拳の嵐の中、朦朧とする事さえも許されぬ激痛の中、ワルドはガンダールヴだけではない人の姿を見た。 金髪を立てた、ゴーレムめいた容貌の軍服の男が。 奇抜なデザインの帽子を被った優男が。 艶やかな黒髪を靡かせる若い女が。 ガンダールヴに似た、黒髪黒目の青年が。 年老いたガンダールヴと共に拳を繰り出し、自分を叩きのめしているのが見えた。 「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ」 見知らぬ人間の姿は更に増えていく。 褐色の肌をした亜人めいた風貌の奇妙な服装の男が。 見慣れぬコートらしき服を着た神経質そうな細身の青年が。 銀髪を立てた奇妙な髪型をした男が。 ――生意気そうな子犬までもが。 コートにも似た奇妙な服を着、奇妙な飾りのついた帽子を被った男が。 「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ――ッッッ」 幾人もの人間もの拳を受け、断ち切れる寸前の意識が最後に見たのは、やはり。 忌々しい使い魔の姿だけだった。 「オラーーーーーーッッッ」 ハーミットパープルの呪縛から解き放たれた瞬間、ワルドの顔に減り込んだ拳は、決して軽くは無いワルドを容易く吹き飛ばし――固定化の魔法が厳重に掛けられた城の壁に激突したワルドの体が、壁に小さくは無い亀裂を入れた。 ボロ雑巾、という形容が可愛らしく思えるほどの惨状を晒すワルドを静かに見下ろし、ジョセフはゆっくりと指差した。 「貴様の敗因はたった一つ」 帽子を被り直し、言った。 「貴様はわしを怒らせた。ただそれだけだ」 ドーーーーーz_____ン To Be Contined →
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図書室と言うものは何処でも独特の黴臭さを僅かに漂わせている。 しかしジョセフが初めて足を踏み入れた其処は、ジョセフが利用したどんな図書館よりも巨大で、立ち並ぶ書架の群れに並べられた無尽蔵とも思える蔵書達。 宝物庫での騒動で、生徒達は勿論司書達も現場に行っている。この広大な空間に三人きりというのは、奇妙な高揚感が浮き上がってくるのだった。 「っはー……すげェモンじゃのォ~~~~」 もはや感嘆するしか出来ないジョセフの横で、何故かルイズが自慢げに腕を組んだ。 「当然よ、このトリステイン魔法学院の図書室はこの世界にある全ての書物を収蔵しているとも言われてるのよ」 ジョセフとタバサは『いやそこはお前が自慢するトコじゃない』オーラを色濃く漂わせていたが、ルイズはそれに気付く様子は皆無だった。 「それはさておいてじゃ、タバサ、ルイズ。この辺りの地図を手当たり次第用意してくれ」 妙な空気をするりと流すように、二人に言葉を投げる。 「判った」 「よし! そうと決まればどーんと用意しちゃうわ!」 そう言うと二人は書架へと走って行く。 ジョセフは二人の後姿を見送ると、脱いだ帽子や上着を机の上で勢い良く振り回す。 ゴーレムや宝物庫の爆風に巻き込まれたジョセフの服には、フーケの魔力がこもった砂や宝物庫の壁の欠片が付着している。綺麗に拭かれた机に散らばる欠片は、後の掃除が非常に思いやられる量だった。 (ルイズがえっれえやらかしよったからのォ。本当に死ぬかと思ったわい) 椅子を引いて腰掛けると、先程の戦いを思い起こす。 ゼロだゼロだと言われてはいるが、ジョセフの波紋のビートよりもルイズの爆破の方が確実に威力が高かった。使いこなせない力を振り回すという点は、承太郎を思い起こさせる。 (ええ年こいて二十歳にもなっとらん子供に振り回される運命なんかのォ。なァ~んかそんな気がしてならんわい) くく、と苦笑して、砂塗れの帽子を手で叩いて埃を落として被り直す。 爆風に晒されるわゴーレムの腕で掴まれ続けるわで受けたダメージはあるが、波紋呼吸で和らげ、治癒すれば何とかなる。今問題があるとすれば、ルイズ本人か。 能力の片鱗はあるのは確かだ。だが有り余る能力の使い方を知らないのは味方にも危険だ。 だがルイズは怠惰ではない。むしろ勤勉で誇り高い少女なのは間違いない。だがだからこそ、自分の責任を懸命に果たそうとして失敗する傾向も否めない。 (ルイズは魂は貴族じゃ。じゃが……周囲からはそうは認められておらん。そのギャップが、ルイズが自分が貴族足らんと必要以上に自分を追い立てておるんじゃな) ノーブレス・オブリッジという言葉がある。直訳すれば『高貴なる者の義務』、高い地位にある者は多くの責任を抱くという意味の言葉。 英国貴族には当たり前の言葉であり、エリナ・ジョースターは「そんなものは貴族である以上持っていて当たり前」という精神でジョセフを育てた。しかしこの言葉も、近世に入ってやっと唱えられた言葉。 中世レベルを維持しているこの世界では、貴族は生まれながらにして特権階級であり、平民は搾取される者としての地位であることは覆しようの無い事実だ。そこに貴族の義務など存在しない。生まれが高貴だから高貴なのだ、という論法が通用する。 だがルイズは、生まれこそ貴族だが、貴族である者に必須ともいえる魔法を満足に使いこなせない。だから魔法以外の部分は必要以上に貴族たらんとする。 故にこの世界では非常に珍しい、「ノーブレス・オブリッジ」を心に抱くことになった。 先程のゴーレムも、ルイズはただ部屋の中で成り行きを見守っていて良かったはずだ。だが彼女は義憤に燃え、わざわざ危険に身を晒しに行った。(本当に危険に身を晒したのはジョセフなのだが) 傍目から見ていれば滑稽とも言えよう。 だが、美しい白鳥は優雅でなくとも、どれだけ無様だろうと、ひたすらに泳ぐ努力を続けている。それが、今のルイズ・ド・ラ・ヴァリエールの姿なのだ。 「……損な生き方じゃのう」 「損な生き方って何よ」 ふぅ、と溜息を吐いたジョセフに、主人の声が掛けられた。 ルイズとタバサは、それぞれ腕に地図を抱えてジョセフの待つ机に戻ってきていた。 「ん? ……あー、いや何でもない。地図は揃ったかの」 見れば判ることを聞きながら、何枚かの地図を別の机に広げていく。その中で縮尺の大きな学院周辺の地図を選ぶと、ジョセフは右手からハーミットパープルを発動させた。 「ハーミットパープルッ! フーケの居場所を探り出せッ!」 紫の茨は、地図と机の上にばら撒かれた砂に伸びていく。 そして二つの小石を付着させた茨は地図の上を這い回り、ことりと小石達を落とした。 一つはフーケのゴーレムを形成していた土の欠片、もう一つは宝物庫の壁の欠片だ。 学院からやや離れた場所に置かれた小石達は、あれから馬に乗って休み無く駆ければこの辺りに到達するだろう、という場所に置かれていた。 「……これは先住魔法?」 茨が地図を這い回るのを観察していたタバサが、ジョセフに問いかける。杖も振らずに発動し、四系統魔術では不可能な能力を発揮したのを見れば、メイジはそう問うのが普通だろう。 「いや、こいつぁスタンドと言う。魂を具現化させた能力じゃ……詳しい原理は後で話しちゃる。今、この石がフーケと持ってかれた宝物の居場所を示しておるワケじゃ」 タバサはそれ以上の質問もせず、了承の意味を込めてこくりと頷いた。 「ここから休み無く移動するとしたら、大体こんくらいじゃ。……しかし妙じゃな」 ジョセフは地図を見ながら首を傾げた。 「フーケは何故こんな山の方に逃げよるんじゃ? こっちに行けば港町もあるし、こっちに行ったら隣の国に行けるはずじゃ。むしろフーケが向かっとるのは、これから逃げるには不適格過ぎやせんか。わしならこっちにゃ逃げはせん」 彼の問いに、ルイズも同じく首を傾げながら答えた。 「んー……フーケのアジトに向かってたり、仲間がここにいたりするんじゃないの?」 「アジトを用意するにしちゃ、かなり辺鄙じゃの。近くに村もないから食料やらなんやらが用意しにくい。逃げ道もないのが逆に不自然じゃな」 「私も同意する。ここは逃走も隠遁もし難い。あるとすれば罠を仕掛けている可能性が」 「罠か。……あるかもしらんな。これ見よがしに痕跡を残して跡を付けさせる作戦かもしらんな。バックトラックの可能性も考えるべきか」 三人で頭を寄せながら考えている間も、茨は微かに小石達を動かしていく。 「とりあえず、こっち方面の詳しい地図で念視してみるとするか」 縮尺の小さい地図を新たに広げると、再び茨が地図の上を走り、小石を落とした。 「……えらく立派な道を通っとるな。人目に付くとか考えんのか」 見れば見るほど不自然な動きをしている。それこそ見つけてくれと言わんばかりだ。 「しかしこれで追跡は可能じゃな。後は素早く追いついて、ゴーレム出させる前にブッちめりゃいいだけの話っつーこッた!」 気合を入れるようにジョセフが大声を上げたその時、図書室の扉が開き、新たに二人の人物が広大な空間に入ってきた。 ルイズの宿敵にしてタバサの親友キュルケと、トリステイン魔法学院の学院長オスマンの二人だった。 二人はテーブルに地図を広げている三人を見つけると、そちらへと歩いていった。 「おう、ミス・ヴァリエールにミス・タバサ。そしてジョースター君、何をしておるのかね」 68にしては若作りのジョセフより明らかに年上のオスマンが、火気厳禁の図書室でもパイプをプカプカ吹かしながらお気楽な様子で声を掛けてくる。 「オールド・オスマン。御足労頂き光栄の限りです」 ルイズとタバサが深々と頭を下げたのを見て、ジョセフも倣って頭を下げた。オスマンの視線がどこか鋭くジョセフを見つめていたが、彼が頭を上げた瞬間に普段の茫洋とした視線だけがジョセフ達を見やっていた。 「君達が呼んでいるというんでここに来たんじゃがな。フーケの騒ぎを抜け出すに相応しい理由を聞かせてもらいたいもんじゃ」 そう言いながら、ジョセフ達のいるテーブルまで来ると椅子を引いてよっこらしょと座る。 そこで説明役に回るのはルイズとタバサ。言葉の足りない箇所はジョセフが補足する。 武器屋で茨を目撃したキュルケでもまだ疑わしそうな顔をしていたが、オスマンは説明をふむふむと一通り聞いたところで、では、と問いかける。 「ジョースター君、それでは一つ聞きたいことがある。君のハーミットパープルとやらで、わしの故郷を指し示して欲しいんじゃが。出来るかね?」 「お任せ下さいオールド・オスマン。何か身に付けているものをお貸し頂ければ」 「ではパイプでええかの」 「十分ですわい。では――ハーミットパープルッ!!」 パイプを受け取ったジョセフの右手から迸った茨達は、地図達の中から一枚の地図を引き出してテーブルの上に広げると、ある一つの都市にパイプを置いた。 「なるほど、信じよう。確かにそこがわしの生まれ故郷じゃ」 オスマンはパイプの置かれた場所を一瞥し、特に驚きもせずにパイプを手に戻した。 その経緯を見ていたルイズは胸を撫で下ろし、キュルケはきゃーさすが私のダーリンだわ、とルイズの怒りを煽った。タバサは無表情に見ているだけだった。 「本題に戻りましょうかの。今、フーケめはここにおるんですじゃ。今すぐ追跡すりゃやつめをブッちめることも出来ますわい」 ジョセフの言葉に、オスマンはパイプから吸った煙をゆっくりと吐き出した。 「居場所が判ったのは僥倖じゃ。しかし一つ聞くが、誰がフーケの追跡に行くんじゃ。残念じゃがうちの教師達は大口叩きの腰抜けばかりじゃぞ? まさか生徒をそんな危険な任務に出させるワケにもいくまい」 オスマンの言葉に、真っ先にルイズが杖をかざした。 「私が行きます! いえ、行かせて下さい! 土塊のフーケには先程の借りがあります、ヴァリエールの三女として屈辱を受けたままにしておくことは致しかねます!」 ルイズの宣言を驚いた目で見ていたキュルケだったが、彼女もまた「やれやれだわ」と言わんばかりに肩をすくめてから、杖をかざした。 「わたくし、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーもフーケ追跡の任務に参加いたしますわ。ゼロのルイズに任せておくだなんて、そんな恐ろしい真似などしていられませんもの」 宣言にすらルイズへの嫌味を織り込む態度に、ルイズが怒りをむき出しにするが、当のキュルケは飄々と笑って視線を返すだけだった。 そしてタバサも、無言で杖をかざした。 オスマンは三人の少女達がかざした杖を見やってから、大きく頷いた。 「その意気や良し! じゃが君達にはフーケの捕獲ではなく、学院より盗み出された『破壊の杖』奪還を最優先としてもらうッ!」 「破壊の杖ですって!?」 この場にいた者の中で、ルイズだけが驚愕の叫びを上げた。 キュルケは宝物庫の側でオスマンが図書室に来るのを待つ間、騒ぎを見物していたので何が盗まれたかは知っていた。 タバサは例え驚いていても表情からそれを判別するのは困難だった(ちなみにキュルケの見立てでは、全く心を揺さ振られていなかった)。ジョセフは驚く代わりに「破壊の杖ってなんじゃらほい」な顔をしていた。 「フーケを捕縛出来るのならそれに越した事は無い。じゃが盗まれた宝物はキッチリ取り返してもらいたい。盗賊風情に虚仮にされたとあっては、我が学院の名折れじゃからの」 オスマンはゆらりと立ち上がると、ルイズ達三人の生徒を見……そして、ジョセフに視線をやり。おごそかに、四人の追跡部隊に告げた。 「トリステイン魔法学院は諸君らの働きに期待する!」 そして、ジョセフに告げる。 「そうそうジョースター君。何かあったら無用心じゃ、ミス・ヴァリエールの使い魔としての責務を果たすために剣を忘れてはいかんぞい」 「デルフリンガーのことですな。よく御存知で」 一人の使い魔が剣を買ってきた事まで把握しているオスマンに少し不審げな目を向けるが、彼は何も変わった素振りすら見せずに目を閉じた。 「わしはあれやこれや見るのが大好きでの。この学院の中で起こった出来事は全て理解しておる」 学院長の言葉を、ジョセフは静かに聴き。「お気遣い有難う御座います」とだけ答え、地図をまとめた。 「んじゃ必要になりそうな分の地図だけ借りていくとするかい。行く前にデルフリンガー持って行くぞルイズ」 「馬よりもシルフィードのほうが早い。それに直線距離で追跡できる」 「ああん、ダーリンと一緒に任務だなんて……もう私達の愛を育むには打って付けよね」 「だから人の使い魔に色目使うんじゃないわよこの色情魔!」 女三人寄れば姦しいと言うが、二人だけが突出して騒がしい。 そんな様子を眺めながら、オスマンはぷかぷかとパイプを吹かしていた。 ジョセフはタバサの持ってきた皮袋に、テーブルにぶちまけた砂を入れると地図を抱えて三人の少女達と共に図書室を出て行く。 そして、彼女達が出て行ってから数分後、U字ハゲのコルベールが図書室にやってきた。 「彼女達は行きましたか。本当に宜しいのですか、学院長。いかに彼女達と言えども、生徒には重荷では…」 不安げに問うコルベールに、オスマンはニマリと笑って返答する。 「この学院で、あの三人に適うメイジなぞそうはおらん。それに、あのジョセフ・ジョースターがついておる。わしらは黙ってあの子達が帰ってくるのを待っとればええ」 「……ガンダールヴですか。まさか学院長、伝説の使い魔の実力を見るために……」 「さあ、どうじゃろな。じゃがもしジョセフ・ジョースターがガンダールヴでなくとも、心配はいらんじゃろ。彼はかんなり頭のキレがええ。そこにタバサ君までおったら、二人の経験不足もカバーし放題じゃしな」 かっかっか、と気楽に笑うオスマン。それを見るコルベールは、どうにもまた頭が寂しくなる予感を捨て切れなかった。 To Be Contined →
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(ふぅ~~~~ッ、危ないところじゃったわいッ。 ちと刺激的なギャグじゃったとは言え本気で殺されるかもしれんかったのォ) 救急車の中、空の向こうから魂を引き戻されたばかりのジョセフは包帯を巻かれた胸を撫で下ろしていた。 既に死亡していた自分にDIOの死体から輸血して蘇生させるという、ある意味今までの冒険と戦いを台無しにしかけないくらいの大博打ッ。 しかしさしものDIOとは言え、血だけではジョースターの血統を乗っ取ることは出来なかったようだ。 ジョセフは自分の横のベッドに視線を落とす。スタープラチナと承太郎に吹き飛ばされて完全敗北した、かつてDIOだった男の死骸は今も救急車の中で自分達と共に運ばれている。 この死骸を太陽光に晒し、復活の芽を完全に摘み取った時こそ、五十日にわたる冒険が真に終わるのだから。 (じゃが念には念を入れておかなければなるまい……) ジョセフは知らず知らずのうちに、自らの右手を強く握り締めていた。 自分の祖父ジョナサンは、吸血鬼となったDIOと戦いその身を打ち滅ぼした……と思った。しかしッ! DIOは首だけとなっても生きていたばかりか、なおもジョナサンへ襲い掛かり、ジョナサンの肉体を奪い取って復活したッッッ! DIOの血は果たしてどのような効果を及ぼすのか。これで吸血鬼化するとかDIOに乗っ取られるとかしようものなら、本当に今までの冒険が台無しとなる。 しかしジョセフには吸血鬼に対する必殺の切り札、波紋がある。 (じゃがなァ~~~~吸血鬼の血が身体に流れてる人間が波紋使ったら一体どうなるんじゃ? 呼吸が出来なくなって死んだりしたらヤじゃのう) ちょっと波紋を練ってみる。 「おおっ……ふ」 少し痛みが走るが、大体大丈夫。死ぬ危険はない。 だが波紋の効果が自分に及んでいるという事は、少なからずDIOの残滓が自分の中に眠っているということでもある。しばらく血を浄化するためにも、痛みがなくなるまでは波紋呼吸を続けなければなるまい。 「じじい……何してやがる」 承太郎が訝しげな目でジョセフを睨む。 「うむ。DIOの血が流れておるんでの、念を入れて波紋を自分の体に流そうとな……」 先程までの文字通りの死闘を潜り抜けた安堵感が、祖父と孫の間に流れたその瞬間ッッ!! 「ッッッ!!!」 「な……なんじゃあこれはァ~~~~!!?」 突然救急車の中に現れる、眩く光る“鏡”ッ!! 新手のスタンド使い!? 祖父と孫に流れ始めていた安堵感は即座に吹き飛び、二人の男が戦士の表情へと変わるッッ!! スタープラチナ、ハーミットパープル、二体のスタンドが発動する……が、鏡は承太郎とジョセフではなく、DIOへ向かって動き出していたッッ!! 「!!! スタープラチナッ……」 「いかんッッ!」 承太郎は自らのスタンドの能力を発動させようとした。しかしジョセフは…… (あの“鏡”が一体“何”なのかはちっともわからんッッ!! じゃが…あの鏡にDIOを触れさせてはいかんッッ それこそ! 本当に! わしらの旅が台無しになってしまうッッッッ それだけはッッッッ させてはならんのじゃあああああ!!!!) 根拠があったわけではない。 しかし、ジョセフには奇妙なまでに強い『“鏡”をDIOに触れさせてはいけない』という確信があった。 DIOが祖父の死体を冒涜した怒りで高まり、時を止めるまでに至った承太郎の精神は……DIOを再起不能にしジョセフを蘇生させたという気の緩みからか……時を止めることは出来なかった! だがジョセフの試みは成功したッ! DIOの身体をベッドから全て蹴り落とし、代わりに自らが鏡へタックルするように飛び込んだッッ!! 「じじいーーーーーッッッッ」 時間停止を即座に諦め、鏡に引きずり込まれようとするジョセフを無理矢理に引きずり出そうとするスタープラチナッ!! 高い精密な動きと俊敏な速度を持つ白金の腕は、凄まじい勢いで引き込まれていくジョセフの腕を掴んだ……が、スタープラチナの力を持ってしても、ジョセフを引き戻すどころか! 引き込まれていく動きを留めるだけで引き込まれていくことには変わりがない! 「手を離せ承太郎ッ! お前まで引きずり込まれたらDIOの後始末を誰がやるんじゃ!」 「ふざけんなじじいッッッ 俺が生き返らせたってのにここでリタイアなんかこの俺が認めねェェーーーッッッ」 「心配するな承太郎! 何があってもわしは必ず帰ってくる! わしが帰らんかったらスージーにはわしは死んだと伝えておけ!」 「帰ってくるとか言ってるのに遺言残してんじゃねェじじいーーーーッッッ」 「落ち着け承太郎! ホリィから父と息子を同時に奪う気かッ」 その瞬間、スタープラチナの力が思わず緩む! 鏡はジョセフの綱引きに勝利し、一気に彼を引きずり込んだッ! 「ハーミットパープルッッッ!!」 ジョセフが鏡に飲み込まれようとする瞬間、ジョセフの左腕から伸びた紫の茨が彼の上着と帽子へと伸び、持ち主と共に鏡へと引き込まれる! 「いいか承太郎ッ! DIOの後始末はお前に任せるッ! あ……それともう一つッ!」 もはや今のスタープラチナでは鏡からジョセフを引きずり出せない。それを察した承太郎は、歯を食いしばりながら、鏡から僅かに覗いたジョセフの顔を睨みつけていた。 「なんだじじいッッッ!!」 「楽しい旅じゃった! 孫と旅が出来て、わしゃ本望じゃったぞ承太郎!!」 その言葉を最後に、ジョセフの身体は全て鏡に飲み込まれ……そして、鏡も、消えた。 「じじいーーーーーーーーーーーーッッッッ」 承太郎の絶叫が、轟いた。 To Be Contined → 戻る
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階段を駆け上がれば、巨大な枝に辿り着く。 枝から伸びたロープに繋がれて停泊しているのは帆船に似た一艘の船だった。海で用いられる帆船のようでもあるが、舷側にグライダーのような羽が突き出ている。 果たしてこの羽は空中での揚力を得る為か、それとも魔法の恩恵を受ける為のものだろうか。後でルイズに聞いてみよう、とジョセフは考えた。 枝から甲板に伸びるタラップを降りると、酒を飲んで甲板で気持ちよく寝込んでいた船員が目を覚まし、身を起こす。 胡散臭げに一行を見やる船員にワルドが実に貴族らしい交渉――とどのつまりは居丈高な態度での要求の強要である――をしている間、ジョセフは荒く大きな呼吸を続けながら船の縁に凭れ掛かっていた。 「ねえジョセフ、本当に大丈夫?」 心配そうに近付いてくるルイズに、ジョセフは鈍痛に苛まれながらもそれでもニカリと笑ってルイズの頭を撫でた。 「なあに心配するなルイズ、こんなモンかすり傷じゃ。ツバつけて酒飲んで寝てたら治っちまうわい」 そうは言うものの、剥き出しになっている右腕は目を背けたくなるほどの大怪我を負っていた。 手首から肩まで巨大なミミズ腫れが幾つも走り、開いた胸元にも少なからぬ火傷が見えていた。 「でもすごいケガよダーリン。明日になったらタバサの精神力も回復するけど、秘薬の持ち合わせも無いから、治癒の魔法も気休め程度にしかならないわ……」 火のメイジであるキュルケは、水系統である治癒魔術は不得手な部類に入る。 メイジが五人も雁首を揃えているのに、ジョセフの治癒に掛かれるメイジはタバサくらいだった。 「あーあー、ダイジョブダイジョブ。なんなら波紋で何とかするしな。すまんが後で包帯巻いてくれんか」 心配を隠さずに自分達の側にいるルイズ達を安心させようと、いつも通りの笑顔を振り撒くジョセフ。 だが痛々しい傷跡を目の当たりにしている少年少女達の心配を雲散霧消させるほどの効果は、さしものジョセフと言えども得ることは出来なかったようだ。 やがてワルドと交渉していた船長が船員達に出航命令を下し、船員達はぶつくさと文句を垂れながらも俊敏な動作で出港準備を整えていく。 さしたる時間も置かずに船は枝に吊るされたもやい綱から解き放たれ、帆を張った。 戒めから解き放たれた船は一瞬空中に沈むが、風の魔法を溜め込んだ風石が発動すると帆と羽が風を受けて大きく張り詰め、船が動き出す。 船が動き出してきたところに、ワルドのグリフォンとヴェルダンデを口に咥えたシルフィードが船の後ろに追いすがってきて、船員達を驚かせた。 二頭の空飛ぶ使い魔は、驚く船員達の視線も気にせずに船の後部に降り立つと、身を丸めてその身を休める。 口に咥えられてやってきたヴェルダンデがシルフィードに何やら抗議している模様だが、きゅいきゅいもぐもぐと言い合っている様子は微笑ましさを感じさせた。 「それにしてもわざわざフネなんか使わなくても、ワルド子爵のグリフォンやミス・タバサのシルフィードもいると言うのに。アルビオンまでこの二頭に乗っていけばいいんじゃないのかい?」 心に浮かんだ疑問を隠しもせずに披露するギーシュに、ルイズが答える。 「ワルドのグリフォンがいくらタフだって言っても、アルビオンまでは遠すぎるわ」 「それに先程船長から聞いた話だが、ニューカッスルに陣を引いた王軍は包囲されて苦戦中とのことだ。周囲の空には貴族派の艦船が隙間なく陣を張っているとも聞く。となれば、貴族派に売りつける硫黄を満載したこの船に乗っていく方が遥かに安全という次第だ」 ワルドが続ける言葉に、ギーシュは反論することも出来ずむう、と黙り込んだ。 だがルイズはその言葉に大きな目を更に見開いて、ワルドに問うた。 「ウェールズ皇太子は?」 「わからん。生きてはいるようだが」 「どうせ港町は全て反乱軍に押さえられているんでしょう?」 その後もルイズとワルドの相談は続き、何とかニューカッスルを包囲する反乱軍の目を誤魔化して強行突破するしかあるまい、という結論に辿り着こうとしていた。 その間ジョセフは舷側に寄りかかり、船員から譲り受けた包帯をタバサに巻いてもらいつつも、行儀悪くワインをラッパ飲みしていた。 (にしてもなあ) ジョセフは思った。 (こういう類の乗り物に乗ると大概ロクでもないことがコトが起こるんじゃよなぁ) 飛行機に限らず、吸血馬の馬車に車にラクダに潜水艦と、奇妙な冒険の最中に乗り込んだ乗り物を悉く大破させてきた実績がジョセフにはある。 だがジョセフは空気を読んで、そんな不吉な言葉を発することはしなかった。 後ほどジョセフは一人、自分の奇妙な乗り物運をつくづく噛み締めることとなったのだが。 船員達の声と眩しい朝の光で、床板に寝そべっていたジョセフは目を覚ます。見上げれば澄んだ青空があり、見渡す限り一面に広がる雲の海の上を船は滑らかに進んでいた。 「アルビオンが見えたぞー!」 鐘楼の上に立った見張りの船員が大声を上げた。 ジョセフは大きな欠伸をしつつ、まずアルビオンを確認することではなく、左右で寝そべっている人の気配の正体を確かめた。 ケガのない左腕にはキュルケが両腕を回して密着していたせいで、褐色の形良い膨らみが左腕に押し付けられていて、ジョセフの口元がかなりだらしなく緩んだ。 対して包帯の巻かれた右手は、火傷に障らないような優しさで小さな手が重ねられていた。その小さな手の主は、ルイズだった。ジョセフの口元は、今度はふわりと綻んだ。 一晩の睡眠波紋呼吸で火傷もかなり快方に向かっている。この分なら今日中にでも完治させることも可能だろう。 とりあえずジョセフは、ルイズとキュルケの手を取り、ゆっくりと波紋を流し込んでいく。 やがて体温を上昇させた二人は眠気と疲労を消し去って覚醒した。 「んー……おはようダーリン、いい朝だわね」 起き抜けからいきなりジョセフに抱きつくキュルケを目の当たりにしたルイズが、いつものようにキュルケに食って掛かるのを微笑ましげに眺めていたジョセフは、ふと視線を上げた先に見えた物体に思わず口をぽかんと開いた。 「うわ……えっれぇモン見ちまったのォ~」 ジョセフの視線の先には、雲の切れ間から覗く巨大な大陸があった。視界が続く限り延びている大陸には幾つもの山が聳え、数本の川が流れているのさえ見ることが出来た。 「驚いた?」 ジョセフが思わず見せた無防備な表情に、キュルケへ向けていた怒りが消え去ったルイズがにまりと笑って問いかけた。 「あー、こんなすげェモン見たのは生まれて初めてじゃよ」 素直に感嘆するジョセフに、ルイズは自分の手柄でもないのに満足げに笑みを浮かべた。 「あれが私達の目的地、浮遊大陸アルビオン。ああやって空中を浮遊して、主に大洋の上を彷徨っているの。でも月に何度か、ハルケギニアの上にやってくるのよ。通称『白の国』とも言われているわ」 アルビオンに流れる川から溢れた水が空に落ちて白い霧が発生し、それが雲となってハルキゲニア全土に大雨を降らせるのだと、かの大陸が白の国と呼ばれる所以をルイズがジョセフに親切丁寧に説明していたところ、見張りの船員の大声が聞こえた。 「右舷上方の雲中より、船が接近してきます!」 その声にイヤァな予感がしつつも、ジョセフはそちらを向いた。確かに黒い船が一隻近付いてきていた。 ジョセフ達が乗り込んだ船より一回り大きく、舷側に開いた穴からは立派な大砲が突き出ていた。それが片舷側だけでも二十数門はあった。 「ほー、ありゃ戦う気満々の武装じゃのう」 予感が外れてくれととりあえず願ってみるジョセフと、眉を顰めるルイズ。 「反乱軍の戦艦かしら……」 それからしばし押し殺したような緊張感が船上を包む。近付いてきた船がどうやら海賊ならぬ空賊だと理解すると、船は一目散に逃げようとするが、進路の先に威嚇射撃の大砲の一発が飛んだ。 抵抗しようにもただの帆船でしかない船が戦えるはずもない。船長を助けを求めようと乗り込んでいたメイジ達に目配せしたが、金髪を除いた三名は抵抗する気配も見せなかった。 「僕の魔法はこの船を浮かべるために打ち止めだよ。僕は戦力にならない」 落ち着き払った声で緩く首を振るワルド。 「いくらメイジだからって、あれだけの大砲に狙いをつけられてたらどうすることも出来ないわよ」 肩を竦めてやれやれと呟くキュルケ。 「命が惜しいならあの船に従ったほうが得策」 本を読んだまま淡々と呟くタバサ。船長は船員に力なく命令した。 「裏帆を打て。停船だ」 ルイズは怯えてジョセフに寄り添いつつ、後ろに迫る黒船を見つめていた。 「こちらは空賊だ! 抵抗するな!」 「空賊ですって?」 ルイズが驚いた声で呟いた。 黒船の舷側からは弓やフリントロック銃を持った男達が油断なくこちらに狙いをつけつつ、他の男達が鉤の付いたロープを放ってジョセフ達の乗った船の舷縁に鉤を引っ掛ける。 手に手斧や曲刀を持った男達が船の間に張られたロープを伝ってやってくるのに、ギーシュは薔薇を振ってワルキューレを出そうとしたのを、ジョセフは波紋を流した帽子をフリスビーの要領で投げ付けて動きを留めた。 「きゅう」 「あのなあギーシュ、こういう時に抵抗したらケガが増えるじゃろうよ。下手したらわしらみんなあの大砲で吹き飛ぶかもしれんのじゃぞ。相手の戦力くらい見極めんか、元帥の四男坊よ」 そう言っている間にも、前甲板で騒いでいたグリフォンに青白い雲がかかり、すぐさまゆらりと甲板に倒れこんで寝息を立て始めた。 シルフィードは特に抵抗もせず、最初から甲板に伏せている。主人が(抵抗はしない)と伝えた結果である。 ヴェルダンデは主人が抵抗しろ暴れろと命令したのだが、自主的判断でシルフィードと同じく抵抗せずに伏せている。使い魔の方が戦況を冷静に判断しているようだった。 「眠りの雲だな」 「向こうには確実にメイジがいるわね」 ワルドとキュルケが二人揃って肩を竦めた。 そして空賊達が船に乗り移ってくると、随分と派手な格好をした空賊が前に歩み出る。 汗と油で真っ黒になったシャツと、胸元から覗く赤銅色に焼けた逞しい胸板。ぼさぼさの長い黒髪を赤い巻き布でまとめ、無精ひげを顔中に生やしている。 左目の眼帯にはドクロマークが描かれており、どこからどう見ても立派な海賊……否、空賊スタイルだった。 (どこの世界でも同じよーなカッコするもんなんじゃなあ) ジョセフはそんなところで感心していた。 「船長はどこでえ」 荒っぽい仕草と言葉遣いで辺りを見回す派手な男。間違いなく彼が頭だろう。 「……私だが」 震えながらも、それでも懸命に船長としての威厳を持って船長が手を上げた。頭はずかずかと足音を立てて船長に近付くと、抜いた曲刀で船長の頬を撫でた。 「これはご機嫌麗しゅう船長殿。おめーさんの船の名と積荷を教えてもらおうかい」 慇懃無礼におどけた口調で問う言葉に、船長は苦虫を噛み潰しながら言った。 「トリステインの『マリー・ガラント』号。積荷は硫黄だ」 その言葉が、空賊の間にどよめきを起こした。彼らは嬉しそうに周囲の仲間達と顔を見合わせた。頭も満足げに笑うと、船長の帽子を取り上げて自ら被った。 「よし、積荷ごと俺達が買おう。料金は大負けに負けててめえらの命だ、全く大損だな」 屈辱に震える船長をほっといて、続いて甲板に居並ぶメイジ達に気が付いた。 「おや、貴族の客まで乗せてるとはな」 ルイズに近付くと、彼女の小さな顎を指先で摘んで上向かせた。 「こいつぁ別嬪だ。お前、俺の船でメイドやらねえか」 男達は頭の冗談にげらげらと笑い声を上げた。ルイズは何の躊躇いもなく、男の手を払いのけ、怒りに燃えた目で頭を見上げる。 「下がりなさい、下郎!」 「おお怖い怖い! 下郎と来たもんだ!」 頭はおどけて肩を竦めたが、続いて足元でただ座っているジョセフに視線をやった。 傍目にはただ座って頭を見上げているだけだが、その目には恐怖など欠片も存在していなかった。静かな瞳だが、頭にだけは判らせる、紛う事の無い怒りをその両眼に湛えていた。 ジョセフは自分が痛い目に遭うことよりも、周囲の人間が侮辱される事に怒るタイプである。それが目に入れても痛くないルイズならばその怒りは数段レベルが違う。 頭は知らずごくりと生唾を飲んで、ルイズから手を離すと、その場を取り繕うように言った。 「てめえら、こいつらも運べ! 身代金がたんまりと貰えるだろうぜ!」 それから空賊達がやってくると、メイジ達の身体検査を始める。とは言え杖を取り上げた後、服の上から手でボディチェックをするだけである。 キュルケは扇情的な格好をしているのでやや念入りにされたが、他の少女二人は必要最低限で終わっていた。 抵抗できそうな手段をおおよそ取り上げられた後、ジョセフ達はマリー・ガラント号と空賊船の舷側に掛けられた木の板の桟橋を渡って、空賊船へと渡る。 だがジョセフ達が持っている金貨の詰まった財布や、ルイズの指に嵌められている水のルビーは取り上げられることなく、そのまま持っていることが許されていた。 To Be Contined →
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今、観衆達はただ唖然としていた。 魔法も使えないはずの平民は、ゴーレムをことごとく打ち倒すだけではなく、奇妙な『何か』を使ってゴーレム達の動きを止めるという事までして見せた。 そして今、ギーシュの右手は平民の左手が固く握り込んでいる。生殺与奪の権利を掌握された、ということだった。 「ま、まいっ……」 体面を守ることすら忘れて、恐怖に押しやられ「参った」の言葉を叫ぼうとするギーシュ。 ……だが。 ビリッと来たァ! 握られている右手から、まるで雷が走ったかのような感覚を受けて、言葉が断ち切られた。 「降参するのはまだ早いぞ。お坊ちゃんにはやってもらうことがある」 (なんだ!? これ以上僕に何をさせようと言うんだ!? 一体、僕に何を!?) 恐怖を通り越して絶望に至りかけているギーシュに、ジョセフはただ静かに言った。 「お前さんが二股かけてたレディ二人と、お前が八つ当たりしたシエスタに今すぐこの場で謝罪せい。 それをせん限り、わしはお前の負けを認めはせん。こいつぁ決闘なんじゃからな、ここで死のうがどうなろうが構いやせんよなあ?」 そう言って、ギーシュの眼前で右拳を握り締めるジョセフ。 何気なく見せられる拳は、ワルキューレを破壊する兵器なのだ。もしあれで殴られればどうなるのか……考えるまでもない。 初めて死に直面した少年は、気付いた時には首を縦に振っていた。 「わ、わかった……謝る、だから手を離してくれないか……僕だって男だ、決闘相手に手を握られたままレディに謝罪するような無様な真似はしたくない。 謝るなら、彼女達に向き合って謝りたい……」 「いいじゃろ」 ジョセフはあっさりと手を離す。 「……感謝する」 指の痕さえついた右手を摩りながらも、薔薇は離さないまま。生徒の人垣に視線をめぐらせ、まず金髪の縦ロールの少女を見つけ、大きく頭を下げる。 「僕が不甲斐なかったせいで君を傷つけた! 心から謝罪するよ、モンモランシー!」 続いてもう一人の少女を見つけると、彼女にもまた大きく頭を垂れた。 「ケティ、君の気持ちは嬉しかったが……僕にはモンモランシーがいるんだ! だから君とのお付き合いはここまでにしてくれ!」 そして最後に、シエスタに視線を向けた。 彼の貴族としてのプライドが、果たして平民に頭を下げていいものか悩むが……(平民とは言え、彼女はれっきとしたレディだ)と、ギーシュは意を決した。 「申し訳ない! ええと……」 ちら、とジョセフに視線をやり、小声で「彼女の名前を教えてもらいたい」と囁いた。 「シエスタじゃ」 「シエスタ、こんな事を言えた義理じゃないかもしれないが、僕の八つ当たりで関係ない君にも迷惑をかけてしまった! 心から謝罪を申し入れたい!」 そう言い切ってから、深々と頭を下げる。そして頭を上げて、ジョセフを見やった。 「ミス・ヴァリエールの使い魔。寛大な心に感謝する。……降参を許してくれるか?」 「許す……と言いたいが、シエスタを侮辱されたわしの分も残っておる。成る丈手加減してやるから、歯ぁ食いしばれ」 ジョセフの言葉にうぁ、と小さくうめき声が漏れたが、判った、と覚悟を決めて目をつぶり、歯を食いしばった。 人間は殴られれば数メイル吹き飛ぶということを、この場に居合わせた全員が知ることになった。頬を赤く腫らして倒れたギーシュの手からは、薔薇が落ちている。 つまり。 「使い魔の、勝ちだああああッッッ!!」 ド、と広場に歓声の渦が巻き起こった。 「ジョセフさん!」 これまでの経過を懸命に見守っていたシエスタが、弾かれたようにジョセフへと駆ける。 貴族との決闘を終えたというのに、まったくの無傷で立っているジョセフ。平民の自分に貴族が謝罪したという事実。 駆け寄ってみて、それが夢ではなく現実だということが、改めて理解でき……込み上げて来る感情を抑えきれず、彼女の両目からは涙がぽろぽろと落ちていった。 「泣くな泣くなシエスタ。こりゃわしの個人的な決闘じゃ、心配かけてすまんかった」 泣きじゃくって言葉の出ないシエスタを、安心させるように頭をぽんぽんと撫でてやり。 それから、今しがた殴り飛ばしたギーシュに視線を向けた。 起き上がるでもなく、ただ空を見上げているギーシュの側へ歩み寄ると、声をかけた。 「生きとるか、色男のお坊ちゃん」 「……色男が台無しになったかもしれないよ。手加減すると言ったじゃないか」 苦笑しながら憎まれ口を叩くギーシュの横に、ジョセフはからからと笑いながらあぐらを掻いた。 「あのワルキューレ達のようにならんかったんじゃぞ? 手加減するのに苦労したわい。どれ、ちっと大人しくしとれ。今からちょいと色男を治してやろう」 そう言うと、ジョセフはギーシュの頬に手をかざし。ゆっくりと練った波紋を送り込んでいく。 今度こそ、ジョセフがほのかに光ったのを観衆は目の当たりにした。 「……なんだ、その光は? 君も……メイジだったのか?」 ぼんやりと問うギーシュに、ジョセフはごく当たり前のように答えた。 「うんにゃ、わしゃメイジじゃないんじゃ。これは生まれつき出来ることじゃからな……魔法と言うのは勉強しなきゃ使えんのじゃろ?」 「……まあその通りだ。それに……君の光は何だか心地がいい。何だか本当に痛みが引いていく気がするよ」 「気がするよ、じゃなくて本当に痛みを引かせておる。なぁに、こんぐらいならすぐ治るぞ。色男のお坊ちゃん」 ジョセフの呼びかけに、ギーシュはまた苦笑を浮かべた。 「……残念だが僕は色男のお坊ちゃんじゃない。ギーシュ・ド・グラモンだ。ギーシュと呼んでくれて構わない」 「そうか。わしは世界で一番カッチョイイナイスガイ、ジョセフ・ジョースターじゃ。なんじゃたらジョジョ、と呼んでくれて一向に構わん。 ところで、さっき謝った中に本命がおったようじゃな。モンモランシー、じゃったか。決闘に負けて恥を晒したついでじゃ。 騙されたと思って老いぼれの戯言を聞いてみんか」 訝しげに眉を顰める彼に、ジョセフは耳打ちをする。 最初のうちこそ疑い半分に聞いていたが、少しずつ彼の目が驚きで見開かれていく。 「ジョっ…ジョセフ、そんな手が……?」 「ジョジョでいいと言うたじゃろ。もうこんだけ恥をかいたんじゃ、ざっくりとやっちまえ。言うとくが効果覿面じゃぞ、二度と二股なんぞかけられんようになるくらい懐かれるわい」 「……もし逆効果なら、今度は僕から決闘を挑むぞ。ジョジョ」 不敵に笑うギーシュに、ジョセフは同じく不敵な笑みを返した。 「そん時ゃ、一発くらい殴らせてやるわい。ほれ、終わりじゃぞギーシュ」 気付けば、ギーシュの頬からは痛みがすっかり引いていた。先程宙を飛ぶほど殴り飛ばされたはずなのに、まるで腕のいい治癒魔法をかけられたかのような清々しさだ。 これからしばらくは学院中の笑い者になるだろうが、それはそれで構わない。 あの瞬間に感じた死の恐怖と比べれば、その程度の屈辱なんて物の数にも入らない。 「ところでジョジョ。色男にかまけて泣いてるレディを放って置くのは感心しないな。早く行ってやりたまえ、何と気が利かない」 シッシッ、とわざと邪険に手を振りながら立ち上がるギーシュに、ジョセフは後ろを振り返り、まだ泣きじゃくりながら顔を袖で拭いているシエスタへ慌てて駆け寄った。 厨房へ戻った二人を待ち受けていたのは、決闘を挑んだ直後よりもお祭り騒ぎな厨房の使用人の大歓迎だった。 ジョセフは揚げたてのフライドチキンと上物のワインを堪能したついでに、マルトーに自分好みのアメリカンなファーストフードの作り方を幾つか教えてから部屋に戻る。 ノックしてもしもぉ~し。 しかし、返事はない。鍵もかかっていない。 そっと扉を開けて中をうかがうと、ルイズは不在のようだった。 ジョセフはとりあえず、部屋の片隅に敷いてある毛布に腰掛けて主人の帰りを待つが、結局ルイズは夕方になるまで戻ってこなかった。 ジョセフは、結局心配になって様子を見に来たルイズが、決闘の経緯を目撃したことを知らなかった。ワルキューレを素手で破壊したのも、ギーシュに敗北を認めさせたのも、ギーシュを波紋で治したのも、全て。 ルイズは部屋に帰ってきてジョセフを見るなり、たった一言、怒鳴りつけた。 「アンタは三日三晩食事ヌキなんだからっっっ!!」 そして足音も荒く、扉を全力で閉めてから食堂へと向かう。 主の出て行った扉を見て、ジョセフは「難しい年頃じゃのう」と他人事のように考えていた。 次の日、モンモランシーが嬉しそうに頬を染めて腕にしがみ付いているギーシュから満面の笑みで「ジョジョ! 君は何と素晴らしい友人だ……心の友と呼んでいいかい!?」と申し出があったのを快諾し、キュルケの全力のアプローチを受けて鼻の下を伸ばすことになり。 そして不機嫌な主人から一週間食事ヌキの罰を言い渡された後、厨房でアメリカン料理の試作品を堪能しながら、シエスタに下にも置かせぬ丁重な扱いをされることに御満悦だった。 「こっちの暮らしも悪くないのう……もうしばらくこっちで宜しくやっちまうかァ!」 実の母親から「この子はいずれとんでもない大悪党かとんでもない大人物になる!」と称されたジョセフ・ジョースター。 彼の人心掌握術は、トリステイン魔法学院に年季の違いを見せつけまくっていたッ! To Be Continued →
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学院に辛うじて帰還した四人は、ひとまず報告に行く前に風呂を浴びる。本来ならすぐに行くべきだが、土くれのゴーレムと大立ち回りを繰り広げた四人は埃塗れで、とても人様の前に出られる格好ではないというのが大きかった。 それに夜に出て行って早朝に帰ってきたのだから、そんなに急ぐこともあるまいというオスマンの心遣いもあったのだが。 そして身なりを整えた四人から、学院長室で報告を受けたオスマンは頭を抱えた。 「あー、やっぱ酒場で尻撫でて怒らなかったからっていう理由だけで秘書選んだらあかんかったのう。新しい秘書どうしようかのう」 本気で頭を抱えるオスマンに、ジョセフが呆れて口を開いた。 「のうご主人様や。コレ斬り殺してええんかの」 「俺っちもこれは手打ちにするしかねえんじゃね? とか思うぜ」 「あたしも異論はないけど腐っても学院長だから」 「つまらないことで罪に手を染めてはダメ」 「ヴァリエールの家が罪に問われるから自重なさい」 本人を前にして酷いセリフを言い放題だったが、さすがにオスマンも後ろめたいことがありすぎるので何も言い返せない。コッパゲことコルベールも口笛吹きながら目をそらしている。彼もフーケことミス・ロングビルに誘惑されてあれやこれや話した前歴がある。 「……そ、そうじゃ。とりあえず、ミス・ヴァリエールとミス・ツェルプストーの二人にはシュヴァリエの称号授与を申請させてもらおう。ミス・タバサは既にシュヴァリエの称号があるから、精霊勲章の申請でええかの」 空気を変えようと苦し紛れに出た言葉に、ルイズが勢い良く食いついた。 「え!? タバサ……あんたってもうシュヴァリエ持ってたの?」 「シュヴァリエってなんじゃい」 「爵位としちゃ低いけど、純粋な武勲を挙げた時だけもらえる爵位よ!」 必要最低限の説明をしたところで、はた、と気付いたルイズがオスマンに振り返る。 「あの、学院長。ジョセフには何もないんですか?」 「あー……彼は平民じゃからの。爵位や勲章を授与するわけにはいかんのじゃよ」 やや残念そうに答えるオスマンに、ルイズが思わず机に両手をかけて詰め寄る! 「そんな! 彼はフーケ討伐にもっとも尽力したのに、何の褒賞もないなんて……!」 「あーあールイズや、ええんじゃよ。わしには過ぎた御褒美を前払いでもらっとる」 すわ、キスのことをからかうつもりか、と三人の少女に異なった種類の緊張感が走る。 だがジョセフは優しげに微笑むと、ルイズの横に歩いてきて、わしゃわしゃと頭を撫でた。 「こんなに可愛いご主人様の下で働けるんじゃ。老いぼれにゃ過ぎた幸せということじゃよ」 見る見る間に、耳どころかうなじまで真っ赤に染まっていくルイズの顔。 何事かを言おうとして、あ、う、あ、と言葉にならない声を発した後、何かを言おうとするのを諦めた。代わりに、ジョセフの脇腹へ渾身のチョップを叩き込んだ。 それを見てからかうキュルケ、懐から本を取り出して読み始めるタバサ。 わいやわいやと少女達特有のかしましさを目を細めて眺めていたオスマンは、キリのいいところでパンパンと手を叩いて騒ぐのを止めさせた。 「よし、諸君らも疲れておるじゃろうから今日はゆっくりと休みなさい。今夜は予定通り『フリッグの舞踏会』を執り行うからの、寝不足でクマなんか作ってせっかくの美貌を台無しにせんようにの」 その言葉に、三人の少女と一人の老人は横一列に並ぶと、オスマンに一礼し。それぞれ学院長室を後にする。 だがジョセフだけは、ルイズに断りを入れつつも学院長室に残った。 「聞きたいことがあるっつー顔じゃの、ジョースター君」 「お駄賃代わりに色々と聞かせてもらいたいこともありましての」 二人の老人が、ニヤリと笑いあう。 「ミス・ロングビル。お茶を……って、おらんのじゃった」 「なんじゃったらわしが淹れましょうか」 「いやいや、魔法で何とかするわい。これから練習もせにゃならん」 おっかなびっくり淹れた茶を飲みながらの、文字通り茶飲み会議が始まった。 破壊の杖に関する経緯を聞き、ハーミットパープルは内密にと言う根回しを経た上で、ある意味本題とも言える左手の義手に刻まれたルーンを見せた。 「ここに来てからというもの、わしには色々と説明し辛いことが多々起こりましての。わしの見立てでは、おそらくこいつが原因ではないかのうと」 ジョセフの言葉と、鉄の義手に刻まれたルーン。 それらを勘案しながら、オスマンはズズ、と茶を啜った。 「それに関しては既にミスタ・コルベールが調べておった。それは『ガンダールヴ』の紋章と言って、伝説の使い魔に刻まれるルーンだということじゃ。 今では失われた『虚無』の使い手の使い魔の証であると同時に、この世に存在する全ての武器や兵器を扱うことが出来る能力を持つ、ということじゃの」 オスマンの言葉を聞きながらも、やや首を傾げてジョセフが問う。 「武器や兵器……ということは、わしには波紋と言う力があるのですがの。その波紋を身体に流した時もどうやらガンダールヴの効果が出ているようなんですじゃ」 「その波紋と言う力がどういうものかは詳しく知らんが、それが『戦う為に生み出された技術』であるというなら、生身でも武器や兵器と認識されたのかもしれんのう」 「……まあ、一概に違うとは言い切れませんからの。ですが……わしがガンダールヴということなら、ルイズは虚無の使い手じゃと考えていいんですかの」 冷め掛けた紅茶のカップを手の中に残したままの質問に、オスマンは眉を顰めた。 「十中八九……とまではいかんが、わしらはそう考えておる。じゃが、現在では虚無の使い手はおらんし、この学院でも当然虚無の使い方を教授することはできん。 そして虚無の力があるとなれば、ミス・ヴァリエールが望むと望まんに拘らず、厄介事に巻き込まれる危険性も孕んでおる。そのため、もうしばらく……彼女には、『ゼロ』の仇名を甘受させる事になる。教師としてこれほど酷い仕打ちはないとは思うとるんじゃが」 辛そうに言葉を紡ぐオスマンを見ながら、ジョセフはカップに口をつけた。 いじめにも似た境遇を把握していながらも、それを解消する為の手段を見つけられずに手をこまねくしか出来ない悲痛を、白い髭の向こうに見取ることが出来た。 だからジョセフは、緩い笑みを浮かべて、言った。 「何。わしはヤンチャな娘を育てた事もありますし、手の付けにくい孫もおりました。それに比べたら、ルイズはワガママな子猫みたいなモンですじゃ。それに僭越ながら、あの子は意外と芯の強い子ですからの。どうか見守ってやって下され」 精悍な顔立ちと、年には似付かない鍛えられた肉体を持つ目の前の使い魔の言葉。 オスマンは、満足げに頷いた。 「この世界には『メイジの実力を見るには使い魔を見よ』という言葉がある。言葉通りの意味もあるんじゃが、メイジが召喚する使い魔は最もそのメイジに見合った使い魔が召喚される、という意味も持ち合わせておるんじゃ。 ジョセフ・ジョースター君。君はきっと、ミス・ヴァリエールが必要としたから、この世界に召喚されたんじゃろう。もうしばらく、君に苦労を背負わせる事になってしまうが。是非、あの子を見守ってやって欲しい」 ジョセフは、普段通りのニカリとした笑みを浮かべた。 「さっきも言いましたじゃろ? わしは可愛らしいご主人様の下で働くことが出来ること自体が過ぎた幸せです、とな」 その日の夜、『フリッグの舞踏会』は盛大に執り行われた。 土くれのフーケを学院の生徒が急遽追跡して捕縛した、ということで、その中心である四人は自然と舞踏会の主役になることが決定していた。 ジョセフは壁際で御馳走片手に友人達に武勇伝を語って聞かせ、キュルケは言い寄ってくる男達に囲まれて引く手も数多。タバサは巨大なローストビーフと格闘しつつも、追加される料理にも一通り手を出し続けていた。 そして、最後の一人は、やや遅れて登場した。 衛視の大仰な呼び出しの後、壮麗な門から現れたルイズの姿は、ジョセフでも「おぅ」と目を釘付けにしてしまうような、パーティードレスを見事に着こなした姿だった。 立ち居振る舞いは確かに由緒正しい公爵家の御令嬢であると証明していた。 (馬子にも衣装……つーのは違うのう。なんのかの言ってお貴族様なんじゃよなあ) と、普段の子猫っぷりとはまた違った雰囲気の淑女を見ていれば、ジョセフの姿を見つけたルイズが、優雅だけれど少々早足に彼の元へと近付いてきた。 そして友人達の輪が自然と彼女を迎え入れる形で開くと、ルイズはジョセフの目の前で立ち止まり、ぐ、と顔を見上げる。 「……ええと。ほら、あれよ。ちょっと、こっち来なさいよ」 「おいルイズ、ジョジョを独り占めしてんじゃねーよ」 ジョセフを有無を言わさず連れ出すルイズに、友人達から不服げな声が漏れるが、ジョセフは微苦笑を浮かべながらも片手で作った手刀をかざし、すまんの、と口だけで言葉を残した。 そのままパーティー会場のバルコニーへ来た二人は、夜空の空気に身を晒しつつ、何を言うでもなく手すりに腰掛けて横に並んだ。 「……あの、その。ちょっと、色々と聞きたい事があるのよ」 「わしに答えられることならなんなりと、ご主人様」 緩く指を絡めて手を組み合わせたジョセフを、ルイズは横目で見やる。 「その……ジョセフ。あんたは……元の世界に、帰りたい?」 「帰りたくないって言ったらウソになりますわい。向こうに家族を残してますからの」 静かに問いかけてくる言葉に、ジョセフは嘘を並べる事を選ばなかった。 「……そう」 ルイズの返事が寂しさを隠さなかったことは、誰が聞いても明らかだった。 「……私も、出来る限り……ジョセフが元の世界に帰る手段を探してみる、わ」 それだけ言って、会場に戻ろうとするルイズの手を、ジョセフがそっと掴んで止めた。 「待って下され、ご主人様や。帰りたいと言うのはウソじゃありませんがの。可愛いご主人様に仕えるのが幸せだというのも、ウソじゃないんですぞ」 「……ウソ」 「じゃからウソじゃないんじゃって」 いつものように頭をわしゃわしゃと撫でようとして、美しくセットされた髪を崩すわけにはいくまい、と、代わりに柔らかな頬を撫でた。 「もし帰る術があるなら、わしはきっと元の世界に帰りますがの。帰る事が出来ないなら、ワガママじゃが可愛らしい主人の側で生きるのも悪くはないだろうというのも、これまたわしの偽らざる気持ちでもあるんですじゃ」 「……だったら、どうせならウソでも、『帰る気はないです』って言ってよ。……なんだか、悲しい気持ちになるわ」 見て判るほどに潤んだ瞳で自分を見上げるルイズを、ジョセフは静かな笑みと共に見下ろした。 「敬愛する主人じゃから、ウソはつきたくないという気持ちだってあるんじゃよ。特に、最初のうちはウソの吐き通しだったからな」 「……いい年してっ。ウソも方便、って言葉も知らないのかしら。時と場合を考えなさいよ」 憎まれ口を叩きはするものの、頬に当てられた手を振り解こうともせず、ただされるがままになっていた。 ふと沈黙が訪れたが、僅かな間を置いて会場のオーケストラが音楽を奏で始めた。 「……ね、ジョセフ。ダンスは、出来るの?」 唐突な問いだったが、ジョセフは緩い笑みと共に言葉を返す。 「ダンスも小さい頃に仕込まれとるし、ニューヨークでもたまにダンスパーティーにお呼ばれされるがの」 「使い魔のくせに、ダンスまで出来るだなんて。ナマイキだわ」 そう言って、そっと手を捧げた。 「せっかくだから、踊ってあげてもよくってよ」 ジョセフは捧げられた手を取り、恭しく手の甲にキスをした。 「うむ、喜んで」 「ダンスの誘いをお受け下さり、光栄ですわ。――『ジョジョ』」 主人の口から零れた呼び名に、少しだけ驚いたように目を見開いたが、すぐに微笑みに変わる。 「……あによ。友人には、ジョジョって呼ばれてるんでしょ」 「ああ、その通り。友人にはジョジョと呼ばれておる」 ぷ、と頬を膨らませるルイズと、笑みを噛み殺すのに必死なジョセフ。 そのまま二人は会場の中央に向かった。 主人と使い魔が、手を繋いでダンスを踊ろうとする。 言葉だけで考えれば、非常に奇妙な光景である。 だが二人は、周囲からの奇異の視線に頓着する素振りさえ見せず、手を取り合った。 「おでれーた。主人と使い魔が、ダンスをするだなんてな。6000年生きてきたが初めて見ちまうぜ」 壁に立てかけられているデルフリンガーは、楽しげに鞘口を鳴らしていた。 To Be Contined →
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レコン・キスタの奇襲により開始されたタルブでの会戦は、二日も経たず終わりを迎えた。 トリステイン王国王女アンリエッタ・ド・トリステインと、アルビオン王国皇太子ウェールズ・テューダーの手によるオクタゴンスペルにより、アルビオン軍は艦隊及び地上軍の大半を喪失。 竜巻の直撃と、竜巻に巻き込まれた艦隊の直撃を受ける事無く、幸運にも辛うじて生き残った兵達は、始祖の子孫達の恐るべき魔力を目の当たりにした為にそのほぼ全てが投降、もしくは逃走を図った。 タルブ平原に駆け付けたトリステイン軍は、逃走したアルビオン兵の捕縛に杖を振るう事となった。 その顛末を、ルイズは知らない。 タルブ平原に艦隊を突き立てた竜巻の後に発生した、まるで太陽が地表に生まれたかの様な光球を生み出した張本人である彼女は、ジョセフが操っていたゼロ戦が空に見えなくなったのを見届けた後、身体の底から湧き上がる激情に押され戦場を後にしていた。 自分が伝説の虚無の担い手である事も、敬愛するアンリエッタを救えた事も、今のルイズには何の価値とてなかった。 ――失った。無くしてしまった。 自分の手で、使い魔を、ジョセフ・ジョースターを帰してしまった。 もう二度と会う事が出来ない。 別れを交わす事も出来ず、感謝を述べる事も出来ず。 あんな『ひこうき』で来なくてもいい戦場までやってきて、最後の最後まで関らなくてもいい危険に関ってきた恩人に、何も自分は報いてやれなかった。 鞍の上でルイズは、人目がないのをいい事にひたすら泣きじゃくっていた。 涙が枯れ果てても、喉が嗄れ果てても、それでも悲しみは涸れなかった。 日が落ち、二つの月と無数の星だけが照らす夜道を一人、ただ馬を進ませ、悲しみに暮れる以外ルイズは何もしなかった。 魔法学院に帰り着いたのは、東の空が僅かに白み始めた頃。寝ぼけ眼を擦りながら出てきた馬子の前で馬から下りた後は、幽霊の様なおぼつかない足取りで寮へと向かうしかない。 鉛の様に重い身体を強引に引っ張り上げる様な気持ちのまま、やっと辿り着いた何日ぶりかの自室のドアの前で、ドアノブに手を伸ばそうとし、ノブを握ろうとし、扉を開けるまでの段階でそれぞれ重大な決意を経過した後、ドアを軋ませながら開いた。 双月の光だけが部屋を照らす中、つい数ヶ月前までそうだった部屋を見れば、また悲しみが膨れ上がる様に込み上げてくる。 ジョセフがいない。ジョセフがいない。もう、帰ってこない―― サモン・サーヴァントで図体のでかい老人を召喚してしまった時の失望から、掛け替えの無い存在になるまで、本当にあっと言う間だった。 使い魔はメイジの半身だ、と言う言葉の意味を、ルイズはひたすらに痛感していた。 「う……うあっ、ううぅ……」 もう泣きたくなんて無いのに、体の中から嗚咽が昇ってくる。 ベッドに突っ伏し、布団を被り、枕を抱き締めて泣きじゃくろうとベッドに向かう直前に、机の上に残されたジョセフの帽子が目に入る。 それと同時に、帽子の下に置かれた便箋が目に入ったのは、ほんの偶然だった。 「……手紙……?」 ぐす、と鼻を啜りつつ、ジョセフが残して行ったのが明白な手紙を今読もうとする気になれたのは、馬の上で十分に泣いていたからだろう。 帽子を摘み、きゅ、と両腕で抱いてから、便箋を手に取る。 「…………?」 内容自体はすぐに読み終わる。 しかし、意味が判らない。 文法が支離滅裂だとか、字が汚くて解読不能だからではない。 走り書きで書かれた文面は、これだけだった。 【ルイズへ。わしが元の世界に帰ってから15日後、もう一度サモン・サーヴァントを行え。出来れば広い場所で。コッパゲと、ジェットに選ばれた友人達も立ち合わせとけ】 「ん、んんんん……?」 今の今まで悲しみばかりに支配されていたのも、どこかへ消え失せてしまった。 ジョセフが何を意図してこの最後の手紙を書いたのかが、全く判らなかったからだ。 一度使い魔になった動物は、死ぬまで使い魔のままだ。 使い魔がいるメイジがサモン・サーヴァントを唱えても、ゲートが開く事は決してない。ゲートが開く場合は、使い魔が死んでいなければならない、が。 「……ジョセフが自殺するとか、有り得ないし」 誰に聞かせる訳でもなくそう呟くと、ベッドに腰掛けて眉間に皺を寄せる。 ルイズには確信があった。 ジョセフ・ジョースターは、そんなつまらない事で死んだりしない。 いくら可愛がっている主人の為とは言え、新しい使い魔を呼び出させる為に自分で死を選ぶ人間ではない。 では、自分は死なずに向こうの世界で生きているとこちらに知らせる為? 「……だったら、15日後でなくていいじゃない」 そう、意味が判らないのはわざわざ15日後と指定している事。 自分の生存表明をさせる様なイヤミをするはずがないのも、ルイズは十分に承知している。 では、一体この別れの挨拶が意味しているものは何なのか。 そして、自分一人ではなく、友人達も立ち会わせる理由は何か。 意味の判らない事をするとしても、意味の無い事をジョセフはするだろうか? 「…………この手紙を書いたのは……、この部屋を出て行く前よね」 急いで部屋を後にしなければならない状況の中、これだけの文章を残せれば自分の目的を果たせるとジョセフは判断したと言う事だ。 「…………判らない、判らないわ」 この手紙を残す意図が判らない。 別れの挨拶にしては、余りに情緒がない。最後のメッセージとしては、余りに意味が判らない。 ルイズは手紙の意味を考えるのを放棄した証拠として、背中からベッドに倒れ込んだ。 生まれて初めて自分の系統に基づいた正しい魔法を行使した身体は、ルイズが考えているよりも強烈な疲労を蓄積させていた。 そのまま深い眠りに落ちた結果、ルイズがもう一度目覚めた時には夜闇の中で月が煌々と輝いており、丸一日完全に眠りの中で過ごしたと気付くのにもう少しばかりの時間を要する事になったのは、また別の話である。 ☆ ――ジョセフが日食の輪を潜り抜けてから、15日後の昼。 あの日サモン・サーヴァントでジョセフを召喚したアウストリの広場に集まったのは、ルイズとコルベール、そしてジェットに選ばれたキュルケ、タバサ、ギーシュの合わせて五人。 ウェールズ本人は今となってはアルビオン亡命政府の長、つまりはアルビオン王国の王となっている。 共に手を携え、アルビオン軍をウェールズとアンリエッタの二人で撃破した華々しい物語は、トリステインのみならず近隣諸国にも轟き渡った。 アンリエッタ王女の政略結婚は土壇場で解消し、改めてトリステイン、ゲルマニアの軍事同盟にアルビオン王国が加盟する事がつい先日決定した所である。 トリステインはほぼ壊滅したアルビオン神聖帝国の数少ない残存兵を取り込んで、現在はアルビオン大陸の簒奪者達を如何に仕留めるか、そして気が早い者はアルビオン大陸を如何に切り分けるかを話し合っている真っ最中。 晴れて王冠を戴き、トリステインの新たな女王となったアンリエッタは、最愛のウェールズ国王との婚姻の儀を挙げる為、多忙な日々を過ごしているのだった。 「しかし、僕もジョジョが残した手紙の意味がついぞ判らなかったな。何にせよ、ルイズがサモン・サーヴァントを行えばその意味も判るんだろうけれど」 穴の中から頭と両前足を出しているヴェルダンデを抱き締めたまま頬擦りしながら、ギーシュが今日集められた全員の気持ちを代弁する。 ジョセフが指定した面々に手紙を読ませてみても、ジョセフが意図しているであろう目的を考え付いた者はいなかったのである。 「まあ、後はちゃあんとルイズがサモン・サーヴァントを成功させるって言う最大の難関が待ち構えているんだけど。大丈夫、ラ・ヴァリエール?」 相変わらず、ルイズを小馬鹿にした笑いにも、ルイズはふんと鼻を鳴らして答えた。 「御心配痛み入るわ、ツェルプストー。これでもコモン・マジックは成功する様になったのよ。いつまでもゼロだとか言われてるだけの私じゃあないって事よ」 いつも通りの口喧嘩が始まるのは華麗に無視し、タバサは地面に座ったまま読書を続けていた。 虚無の系統に目覚めてから、正しい魔力の使い方を身体が理解したのか、初歩的な魔法を使うのに不自由は無くなった。四大系統の魔法は何一つ使えないにせよ、ルイズにとっては大きな進歩だった。 とは言え、虚無の担い手である事はアンリエッタにも話していない。 伝説の系統に目覚めた事を自慢して回る気には、どうしてもなれなかったのだ。 ゼロのルイズで無くなった喜びは確かにあるが、ジョセフとの別れを引き摺ってしまっている事が何より大きく、それに加えて手紙の謎が気になっているのもあった。 あの日から何度も何度も読み返した手紙をポケットから取り出すと、もう一度文面を読み返してみる。当然意味は判らない……が。 (……今になったら、この手紙は本当に助かったわ。もっと意味が判る手紙だとしたら……まだ部屋で泣いてたかもしれないもの) 主人が泣き腫らして部屋に帰って来る事を考えて、ジョセフはこの手紙を書いたのだろうか。 だとすれば、随分と気配りが行き届いていると言うか、全てお見通しと言うか。 スカートのポケットの中に入れている手紙を、愛しげに指先でもう一度触れてから、進級試験の日と同じ面持ちで立っているコルベールに、ルイズは静かに視線を向けた。 「準備はいいかね、ミス・ヴァリエール」 コルベールの問い掛けに、ルイズはしっかり頷く。 ルイズの一連の仕草を見つめ、コルベールは知らず微笑を浮かべていた。 あの進級試験の日とは、ルイズの態度は比べ物にならないほど堂々としたものだった。 ゼロのルイズと馬鹿にされ、劣等感の塊だった少女はもういない。 ここに立っているのは、貴族と呼ばれるに相応しい立派なメイジの一人だった。 (ジョースター君。君がミス・ヴァリエールの使い魔で、本当に良かった。たった二ヶ月足らずの時間を分けてもらったお陰で、彼女は救われる事が出来たのだから――) 日食の輪の向こうへ去った友人に、心の中で礼を述べる。 そして教師としての眼差しで、ルイズを見やる。 「では、ミス・ヴァリエール。サモン・サーヴァントを」 「はい」 すう、と一つ息を吸い、ゆっくりと吐き出す。 ジョセフがいつも行っていた波紋の呼吸の様に、大きく長い深呼吸。 そして愛用の杖を掲げると、朗々と召喚の呪文を唱えていく。 「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。我の運命に従いし、"使い魔"を召喚せよ!」 呪文の完成と同時に、勢い良く杖を振り下ろす。 次の瞬間――白く光る鏡の様なゲートが、完成した。 誰かが息を呑んだ音が、無闇に大きく聞こえた。 契約した使い魔が生きている場合、ゲートは開かれない。 ゲートが開かれていると言う事は、つまりジョセフは死んだと言う事実を厳然と示すものだった。 サモン・サーヴァントのルールを知らない者は、ここにはいない。 「ル……ルイズ!」 ゲートを閉じるんだ、と続けようとしたギーシュの言葉が、思わず飲み込まれた。 ルイズは、ゲートから目を背けていなかった。 そこには、“信頼”があった。 盲目的でも依存でもなく、ジョセフ・ジョースターと言う人間を信じる輝かしさ。 ゲートから照らされる光だけではなく、ルイズの立つ姿そのものから光が発せられている様な、そんな錯覚さえギーシュは感じてしまった。 ゲートが開かれてから、ほんの数秒。しかし、これから何が起こるのかを固唾を呑んで見守る全員には、とんでもなく長い時間が経過した様に思われたその時―― 「ゲートの前からどいとけッ! デカいのが行くぞォーーーーッ!!」 聞き間違えようが無い。 ゲートの向こうから聞こえた叫び声は、ジョセフの声だった。 そして次の瞬間、メイジ達は信じられない光景を目の当たりにする事になる。 爆発にも似た轟音が断続的にゲートの向こうから聞こえ、ゲートが奇妙に大きく引き伸ばされたかと思うと、見た事の無い“何か”がゲートの中から現れてくる。 タバサが杖を一振りし、風のロープでルイズを掴んでゲートの前から引き離した。 ゲートを潜り抜けて来たのはピカピカと鮮やかな紫に輝く、巨大な物体。その大きさと言えば、まるでちょっとした建物並。そんな物体がスムーズにゲートを潜り抜けてくる。 紫色の部分が出終わったかと思えば、その後ろからは紫の物体に負けず劣らず巨大な、銀色の長方形。紫と銀の物体には、人の背丈程もある黒々とした車輪が幾つも連なっており、巨大な物体達には似つかわしくないスムーズな前進を可能としていた。 一つの長方形が出終わったかと思えば、その長方形に繋がってまた同じ形の長方形が出てくる。そして合計三つの銀の長方形が出終わると、召喚を終えたゲートは閉じてしまった。 「な、な、な……」 生徒達を見守り指導するコルベールでさえ、想像を絶する召喚に意味のある言葉が出ない。 年若い少年少女達に至っては、度肝を抜かれたと言う言葉そのものの表情で、ただ出てきた物体を見上げる事しか出来なかった。 それはアメリカントラックと呼ばれる、アメリカの緩い規制の産物とも言える巨大トラック。日本では「コンボイ」と呼ばれる事が多く、ロボットにトランスフォームするトラックとして有名な、トラックであった。 だがしかし、ここにいる全員はそんな名前など知る由も無い。 「……ぅぉーぃ」 鳴り止まないエンジン音の中、微かに聞こえる呼び声に気付いたのは、風のメイジであるタバサだった。 召喚されたコンボイの先頭、紫の物体の中からその声は聞こえてくる。 よく見てみれば、紫の物体の正面上側には巨大なガラス窓がはめ込まれており、横側には数段の階段が取り付けられたドアが付いている様だった。 タバサは短い呪文を一言唱えると、ガラス窓の高さまで浮き上がって中の様子を窺った。 ガラス窓の向こうには黒光りする座席があり、その上にはジョセフが腰に佩いていた大剣、デルフリンガーが鞘から半ば抜かれて横たわっていた。 宙に浮いて自分を見つめるタバサに気付いたデルフリンガーは、かちかち柄を鳴らす。 「おお、久し振りだな。とりあえず横のドア開けてくれっか、うるさくて仕方ねぇだろ」 タバサはこくりと頷くと、そのままドアに連なるステップに着地し、ドアノブだと思われる凹みに指を掛けてドアを開いた。 「んじゃあ、そこに鍵が掛かってるだろ。それを捻ったらエンジンが止まる」 その言葉に視線を巡らせると、確かに穴に刺さった鍵がある。華奢な手を伸ばし、鍵を捻ると鳴り響き続けていたエンジン音がゆっくり途絶えて行った。 「さぁてと、だ。元の世界に帰った相棒からお前らに手紙とプレゼントを言付かってるんでな。いいモンばっかりだぜ、俺っちがありもしない腰抜かすくらいにな」 くく、とデルフリンガーが笑う。 タバサは軽口に笑う事もなかったが、興味深そうに青い瞳を剣に向けた。 剣の横には手紙の束が置かれており、その一番上に置かれた封筒には『わしの親愛なる友人達へ』と書かれているのが見えた。 「一番上の手紙は全員で読んでほしいってよ。それぞれの手紙は別に書いてあるぜ」 タバサは無言で手紙の束を手に取り、今までに触った事のないつるつるした手触りの紙に一瞬だけ視線を留まらせてから、自分とデルフリンガーに風を纏わせて運転席から地面へと降りる。 手に持った手紙の束から一番上の封筒を取り出し、ルイズへ向けて静かに差し出した。 「……この手紙は、あなたの使い魔が書いたもの。なら、あなたが語って読むのが筋」 「――そうね」 差し出された手紙を受け取ると封筒を破り、中に入っていた数枚の便箋を取り出す。 便箋に書き連ねられた文章は、確かにジョセフが書いたそれ。 文面に視線を寄り添わせながら、内容をゆっくりと語り始める。 『この手紙がお前達に届いたと言う事は、わしの計画は全て上手く行ったと言う事だ。――ろくに別れの挨拶も出来なかったが、手紙で済ませる不義理を許してほしい』 ルイズの声で紡がれるジョセフの口調に、その場にいる全員がしっかりと耳を傾け。ルイズも時折息継ぎを挟みながら、使い魔からの最後の手紙を読み上げていく。 『そうそう、もし心配しているのならわしは無事に元の世界に戻り、お前達が手紙を読んでいる今も元気にピンピンしとるので心配せんでいい。わしからの手紙とプレゼントを贈る為、そしてルイズに使い魔を返す為にわしは考えた』 そこまで読んでから、不意にルイズの眉根が寄る。数度同じ箇所を読み返し、んん、と疑問めいた声を上げるルイズに、続きを待ち兼ねたギーシュが怪訝げに問いかけた。 「どうしたんだねルイズ。文章の綴りが間違ってるのかい?」 何度も同じ場所で視線を行ったり来たりさせているルイズに全員の視線が集まった所で、ルイズは文章の理解を諦めた。 「…………ねえ、私には理解が及ばないわ。誰か私の代わりに理解してくれないかしら」 そう言うと、その問題の箇所を指で示しながら全員に便箋を見せた。 文面を読んだ全員の視線が、ルイズと同じ様に何度も往復する動きを見せる間、余り表情を変化させない事に定評のあるタバサでさえ、その端正な顔に紛う事のない疑問を浮かべている。 他のメンバーに至っては、これ以上ないくらいに「理解不能」と顔全体で語っていた。 そこには、こう書かれていたのだった。 『……メイジと使い魔は一心同体、どちらかが死ぬまで使い魔の契約が切れる事はない。つまりルイズとの契約を破棄する為には、わしが一度死に、もう一度蘇生しちまえばいいと考えた――』 「……ん、んんん?」 何度も文章を読み返す中、必死に理解しようとする誰かかの吐息めいた声が知らず漏れるのを咎めたりする者もおらず、次の文章は更にメイジ達の理解を拒んでいた。 『どうせそっちに行くほんのちょっと前には、わしの爺さんの身体を乗っ取った吸血鬼に全身の血を抜かれて四分ほど心臓が止まった後に、吸血鬼の死体から取り返した血をもう一度身体に入れてから、心臓を無理矢理動かして蘇生した事もある。 たかだか一分くらい心臓止めただけで、わしが死んだとルーンが判断した時には少々拍子抜けもした』 さして長くもない文章が、大量の奇妙を内包している。 長い沈黙を経た後、意を決して口を開いたのはギーシュだった。 「……ここで一番僕達がすんなり納得できるとすれば、ジョセフが大分とホラを上乗せしているんだと考えるのが自然だと思うんだが、みんなはどう思う」 今まで培ってきた常識が根底から置いてきぼりにされた中、キュルケが辛うじて言葉を絞り出す。 「……そもそも吸血鬼に全身の血を抜かれて、取り戻した血をもう一度身体に入れて、心臓をもう一度動かして蘇った、って一連の言葉の意味が全く判らないわ。今までそんな言葉聞いた事ないもの」 ハルケギニアで初めて紡がれた言葉は、全員の脳裏に共通の疑問を生み出した。 ルイズは全員を代表するつもりもなく、生まれたばかりの疑問を口にした。 「……ジョセフの世界って一体どんな世界なのかしら」 『ひこうき』もそうだが、まるで想像も出来ない様な世界である事は疑い様もない。 ルイズは一つ小さく息を吐くと、考えても判らないジョセフの世界について考えるのを一旦放棄した。 「ほら、手紙の続きに戻るわよ。これ以上考えても多分判らないもの」 その言葉に、それもそうだと区切りを付けた全員に向けて、ルイズは朗読を再開した。 『が、それ以上に、これでルイズに残した手紙に書いた約束を守れる安心の方が大きかったのはマジなとこじゃ……』 「って何よこれ。いきなり砕けて来たわね」 「ここまで真面目な文体で書いてきたけど、そろそろ飽き始めてきてるのが目に見える様だわ」 「ジョジョにしちゃ大分もった方だと僕は思うなぁ」 口さがない部類の友人達の寸評を受けながらも、文面は唐突に終わりを迎えていた。 『そこで無事に帰れた記念に、わしの可愛いご主人様と掛け替えない友人達にささやかなプレゼントを用意した。それぞれに向けた手紙にわしからのメッセージと目録を書いてあるから、ケンカせずに仲良く分け合ってくれ』 ルイズがそこまで読み終えると、全員の目はコンテナへと向けられたのだった。 ☆ 『コルベールセンセへ。 センセへのプレゼントは、トラックとトラックの設計図。それからゼロ戦を一機用立てようかとも思ったんじゃが、流石にムリじゃった。わしの世界じゃ五十年前の骨董品で、残存数もほとんど無かったモンですまん。 代わりに、新品のセスナと設計図、ゼロ戦のエンジンのレプリカを用意した。二番目のコンテナに積んであるから、好きなだけ研究してくれ。いずれそっちでも飛行機が飛ぶのを期待しておるよ』 コルベールの研究室の横に、新たな掘っ立て小屋が建築された。 その中には固定化の魔法を施されたセスナが堂々と鎮座しており、コルベールが今までに見た事もない素材で作られた座席が彼の最高の居場所になっていた。 ジョセフからの贈り物であるセスナの設計図と、何度も分解しては組み立てて構造を把握したエンジンを見比べながら、もう二度と会えない友へ言葉を向けるのは最早日課となっていた。 「なあ、ミスタ・ジョースター。君の贈り物は決して無駄にはしないぞ。魔法に頼らず、誰にでも仕える立派な技術を開発してみせる。それが君に出来る、私からの返礼になるだろう……」 そしてコルベールは羊皮紙に向き直る。 自分自身で作り上げる新たなエンジンの開発の為に。 ――ジャン・コルベールはジョセフから送られたセスナとエンジンを研究し、パトロンの協力を得て飛空船オストラント号を開発。後年、ハルケギニアで初めて作られた飛行機での飛行に成功する。 『ギーシュへ。 お前へのプレゼントの一つ目は、わしの世界で流通しとる金属だ。名前はアルミニウム、軽くて丈夫で加工し易いのが取り柄だが、精製するのにえっれえエネルギーを必要とするのが玉に瑕ってトコロじゃな。 二つ目はアルミニウムの原料になるボーキサイト。熱帯雨林や熱帯雨林があった土地辺りによく鉱床があるらしい。コイツの粉末を吸い過ぎると肺をやられて四年くらいで死ぬから、取りに行く時はマスクをちゃんと付けておけよ。 三つ目がアルミニウムから作ったジュラルミン、四つ目がジュラルミンを更に強化した超ジュラルミン、五つ目が超ジュラルミンを更に強化した超々ジュラルミンじゃ。 コンテナもこの超々ジュラルミンで作られておる。お前も軽いだけの男でなく、軽いくせに使い勝手のいいアルミニウムの様な男になれよ』 一旦そこで文章は締められていたが、便箋とは別に小さな紙片に走り書きされた追伸も添えられていた。 『あ、そうそう。浮気とかマジやめとけ。甘く見とると命落としかねんぞ』 ギーシュに贈られたのは、未知の金属のインゴットと、その原料になる原石。それと何やら、切羽詰った忠告。 時折親愛なる友人からの手紙を読み返す度、ちょっとした苦笑は抑えられない。 「なんだい、破天荒な英雄にしちゃ随分と至らない所があるじゃないか」 たった二ヶ月の付き合いで、一生忘れられないインパクトを残して去って行った親友。 故郷に帰った時に、きっと修羅場か何かあったのだろう。アルヴィーズ大食堂での一悶着など比べ物にならないような、本物の修羅場が。そうでなければ、わざわざ本文とは別の追伸を書いて渡すはずがない。 後先考えず、昨日今日出会った友人を守る為に未知の敵との戦いを恐れない男でも、ちょっとした欠点がある。 ギーシュが様々な壁にぶち当たり心が折れそうな時、手紙を読み返してジョセフと愉快な友人達との騒々しい日々を思い起こし、心の支えとする。 あの騒々しい年甲斐のない友人と別れてから、もう十年以上になる。 最後の追伸を自分の胸の中だけに秘めておいたのは、親友への情けであった。 「きっと君は元気にやってるんだろう。僕もそれなりに元気にやってるし、モンモランシーも泣かせたりはあんまりしてない。長生きしたまえよ、ジョジョ」 もう二度と会う事のない親友に思いを馳せながら、手紙を左の胸ポケットへと仕舞った。 ――ギーシュ・ド・グラモンはグラモン家の四男として様々な戦功を挙げると共に、新種の金属『グラモニウム』の発見、開発に成功する。後に「グラモニウム」の二つ名を名乗り、愛妻との間に数人の子を生し立派な軍人となる。 『タバサへ。 お前へのプレゼントは、わしの世界で一番旨い牛一頭分の肉と、その牛の番いじゃ。 既に食える処理はしてあるから、マルトーに料理してもらえ。それと食べる時にはミスタ・オスマンにもお裾分けするといい。もしあんまりお気に召さんかったら、番いも潰して適当に食べてしまえばいい。 じゃが、食べた後にタバサはこう言うじゃろう』 「――私が今まで食べていたのは、サンダルの底だった」 手紙の最後に書かれていた言葉を読んだ上で、改めて口にしなければならないほど旨い牛。 ただ切って焼いただけのシンプルなステーキだと言うのに、熟れた果実を切る様にナイフが通り、噛めば噛むほど上質な脂が口一杯に迸る肉。 これに比べれば今まで食べていた“牛肉”など、サンダルの底でしかない。 「こいつぁすげえ……。俺達料理人の仕事は、そのままじゃ食べられない材料に手を掛けて食べられる様にするのと、より旨い飯に仕立てる事だ。まさか、材料の時点から手を掛けるだなんて、その発想自体が目から鱗ってヤツでさぁ……。 この牛があれば、ハルケギニア中の料理が全部引っくり返るのは言うまでもありませんや」 実際にこの牛肉を調理したマルトーが、同席しているオスマンに感嘆を惜しまない声を掛ける。 オスマンに出されたステーキがタバサのより明らかに小さいのは、三桁以上の年齢を重ねた老人が食べるにはパンチがあり過ぎると言う配慮ではあったが、オスマンは構わずぺろりとステーキを平らげていた。 「確かに旨い。わしも長く生きてきたが、こんなステーキは食べた事がない。しかし……これだけの牛を育てるのには、それに見合った手間がかかるようじゃな?」 口ひげに付いた肉汁をナプキンで拭きながら問い掛ける言葉に、タバサが小さく頷いた。 「――手紙に同封されていた手引書に寄れば、トウモロコシを食べさせ、ビールを飲ませ、毎日全身を決まった工程で刺激する。なおストレスを与えない為に、音楽を聞かせる、と書いてある」 淡々と告げられる言葉に、マルトーがカーッ、と声を漏らして顔に手を当てた。 「ちぇっ、いずれ潰されて食われる牛だってのに、まるでお貴族様の様な生活じゃねえですかい。いや、これだけの肉になるにゃそれだけの手間を掛けなくちゃならねえってことなんでしょうがね」 「ハルケギニアにいる牛も、それなりの味にする為の方法も提示されている。彼がもたらした牛には劣るだろうが、それでもこれまでに比べれば、きっと革命を起こすのは確実」 二人の言葉に鷹揚に頷くと、オスマンは料理長に視線をやった。 「まあとりあえず、今度はもっと分厚いレアで焼いてもらおうかの。わしはまだまだ長生きするつもりなのに、これだけ旨い肉を食う機会を無くしてしまうのは、余りに惜しい」 愉快げな笑みを浮かべるオスマンに、マルトーは満面の笑みで答えた。 「承知しました、そちらのお嬢さんもで?」 「次はこの牛の内臓が食べてみたい。適当な所を見繕って出してほしい」 表情を変えないまま、貴族が口にしない下手物を所望する小柄な少女にマルトーは恭しく一礼すると、厨房へと戻って腕によりを掛ける事にした。 ――タバサは後に、オスマンとの共同研究により動物や植物の品種改良技術の基礎を確立する。その中で『黄金より貴重』とまで言われる最高級牛の繁殖に成功した。 なお余談ではあるが、使い魔である竜へ事ある毎に最高級牛の品種名である「コービー」の名を付けようとして必死に拒否されるのは、タバサをよく知る者なら全員知っている奇癖であった。 『キュルケへ。 わしがお前にプレゼントするのは、わしの世界での最新ファッションのカタログとヘアカタログを一揃えじゃ。普段使い用の他に、お前の実家の宝物庫に収める分もワンセット用意しておいた。 前にシエスタを助ける為に譲ってもらった家宝の本の代わりと言う事で、勘弁してほしい。 ルイズの家と長年の恩讐があるのは知ってるし、国境を隔てたお隣同士っつーのは非常に仲が悪いのもよく知っちゃおる。知っちゃおるが、それでもやっぱりルイズは可愛いわしの孫なんでな。仲良くしてくれとまでは言わんが、お手柔らかに頼む。 お前はとても魅力的だし、自分がそうだと言う事もよく知っているだろう。 それならトリステインの小さな領土を取りに行くよりも、ゲルマニアの広大な領土を取りに行った方がずっと効率的だろうとわしは思ったりするが。 まあ、わしの贈り物がちょっとでも役に立ちゃ幸いじゃ』 「ダーリンの世界はすごいわねえ。もう何て言うか、あたし一人じゃ一生かかっても全部のドレスを試せそうにないもの」 かつてジョセフに請われて渡した、たった一冊の薄っぺらい「召喚されし書物」の代償としては、その重さも内容も比較するまでもない。 まるでその瞬間を切り取った様に克明な絵と、指さえ切れてしまいそうに薄い紙。この本だけでも好事家に売れば城でも買える金貨が手に入るだろう。 しかしキュルケにとっては、このカタログは何物にも勝る贈り物である。国一つと引き換えと言われれば交換を考えないでもないレベルの価値が其処にあった。 しかしハルケギニアでは想像もしないくらいに多種多様なデザインのドレスやヘアスタイルは、キュルケには似合わないものも多くある。 そこでキュルケが目を付けたのは、彼女の親愛なる友人であるタバサやルイズである。 キュルケとは種類の異なる美少女である二人は、キュルケの審美眼に拠って魅力的に着飾らされる羽目になり、圧倒的多数の男子と少数の女子からの恋文攻勢に立たされる破目にもなった。 そんな中でも特に彼女の目を引いたのは、「ブラジャー」と呼ばれる胸当てだった。 この下着は乳房を支えるのが主目的だが、デザインを工夫すればただでさえ大変な胸元がより大変になる事に気付いたその時、キュルケの野望は具現化したと言っても過言ではなかった。 今までも大きく広げていた制服の胸元がより大きく広げられ、これまでより更に深まった胸の谷間を彩る真紅の胸当ては、学院の男達の視線を以前とは比べ物にならないレベルで集めたのは言うまでもない。 学院を卒業するまでに流した浮名の数は、長い学院の歴史でも長く語り継がれる事になるのだが、それはキュルケと言う稀代の美女を語る上では序章でしかなかった。 ――キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーは、火の魔法と彼女自身の美貌を存分に駆使し、後に故郷ゲルマニアの女王として君臨する。 特定の配偶者を持たず、数多くの愛人と恋人を終生侍らせ続けた彼女は“処女王”の二つ名で呼ばれる事となる。 『わしの可愛いルイズへ。 この手紙を読んでいると言う事は、お前は魔法をきちんと使える一人前のメイジになったと言う事だろう。まーそーでなくとも、一度はわしを召喚しているのだから、もう一度くらいは召喚に成功してもバチは当たらんはずじゃ。 こんな形で別れる事になったのに心残りがないと言えば、嘘になる。お前に直接別れを告げられなかったし、お前が困っていても24時間以内に駆け付けてやれないのはとても辛いが、それは言っても詮無き事じゃから、な。 わしがたまたまお前の使い魔になった事も、短い間でさよならを言わなくちゃならなかった事も、それはきっとそうなるべくしてなった事なんじゃろう。だからもう、わしの事は気にするな。 わしはわしの世界で生きていかなければならんし、お前はお前の世界で生きていかなければならん。だから、もうわしらの手から離れた事をずーっと書き連ねても意味がない。 ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールはわしと言う使い魔を失ったかも知れん。しかし、わしといた二ヶ月でルイズが手に入れた物はそれ以上に沢山ある。今のお前には良き友人も教師も間違いなくいる。お前が何と言おうとな。 それは間違いなく、これからのお前にとってとてもとても大切な事じゃ。 わしも長い事生きてきたから、無二の親友を戦いで失いもしたし、わしを育ててくれたエリナおばあちゃんやスピードワゴンを見送りもした。しかし、それ以上にわしはもっと沢山の大切な物を手に入れてきた。 もしわしが大切な者を亡くした悲しみに捕らわれ続けていれば、お前と出会う二ヶ月も無かっただろう。お前達との二ヶ月間は本当に色んな事があった。じゃが、本当に楽しい二ヶ月だった。 異世界で出会った掛替えの無い友人達を、わしは死ぬまで忘れる事は無いじゃろう。 これからお前の行く道には色々と厄介事があるかもしれんが、今のお前は一人じゃあない。 お前は友を助け、友にお前を助けてもらえ。 最後になったが、わしがお前にしてやれる最後の贈り物を用意した。 わしの代わりに、お前の使い魔になる様な動物はどんなのがいいのか一生懸命考えた。ドラゴンやらグリフォンやらが実在する世界で、果たしてわしの用意できる程度の動物でいいのかと思ったが、まあカエルとかネズミとかの使い魔の方が一般的みたいじゃし別によかろう。 何はともあれ、これからのお前が幸せである様に祈っておる。 わしもお前に心配されん程度に、幸せにやっていくからな。 ルイズを愛するジョセフ・ジョースターより』 机に向かって羊皮紙にペンを走らせているルイズの耳に、ノックの音が聞こえた。 「開いているわ」 ペンは止めず、ドアに視線を向ける事も無く短く答える。 「失礼致します」 短い挨拶と共にドアを開けて入ってきたのは、シエスタだった。 手にはティーセットを乗せたトレイを持ってきており、ルイズの指示を受ける前に手馴れた様子でテーブルの上に茶の用意を済ませていく。 二人きりの部屋の中、さして互いに言葉を交わすでもなく、ペンが走る音とティーセットが微かに音を立てるだけの静寂の中、カップに注がれた茶が緩やかに湯気を立て出した頃にシエスタはルイズの背に向けて声を掛けた。 「ミス・ヴァリエール。お茶の用意が整いました」 「そう。じゃあ頂こうかしら」 ペン立てにペンを挿し、椅子を軋ませて立ち上がるとテーブルへと足を向ける。 テーブルの上にはティーカップと、クックベリーパイがツーピース乗った小皿。 ルイズの足取りに合わせてシエスタが引いた椅子に腰掛けると、まずは茶を一口。 「うん、いい案配ね」 「恐縮です」 矢鱈に視線を合わせはしないが、それぞれの口元は柔らかく綻んでいる。 二人を引き合わせた張本人であるジョセフはもういないが、シエスタはタルブの戦以来、タルブを守った英雄であるジョセフに返せなかった恩をほんの少しでも返すべく、ルイズに甲斐甲斐しく仕えると決意した。 ルイズはそれを嫌がるでも厭うでもなく、特に何も言わずシエスタを自分のお付きメイドとして扱う様にし、現在に至っている。 夏季休暇も終わり、そろそろ秋の気配が見える頃になっても、二人の会話の糸口は決まっていた。 「ジョセフさん、お元気にしておられるでしょうか」 「アレがそうそう耄碌するはずがないじゃない。だって私の使い魔だったんだもの」 殆ど毎日交わした決まり文句を口にしてから、パイを一口食べる。 「ところでシエスタ。貴方の故郷の様子はどうなってるの」 「ええ、平原はメチャクチャになっちゃいましたけど……フネの残骸やら何やらで結構な臨時収入が出来ましたので。来年にはまたブドウの作付けも出来るかと思います」 シエスタが笑みを浮かべながら答える言葉に嘘がない事を、ルイズは知っている。 今のルイズは、タルブの復興状況を知る立場にある。ジョセフからの手紙を受け取った後、ルイズは一人トリスタニア城へ出向き、自らが虚無の担い手であるらしい事をアンリエッタとウェールズに告白し、二人に宛てられた手紙を渡した。 アンリエッタは驚きながらも、親友が落ちこぼれのメイジどころか伝説の系統の使い手だった事を喜び、そして虚無の系統に目覚めた事を他言しない様に厳命した。 新たな女王の役に立ちたいと願うルイズと、親友を禍々しい権力闘争に巻き込みたくないアンリエッタの押し問答を押し留めたのは、アルビオンの王となったウェールズだった。 虚無の力を使う決断はアンリエッタに任せ、ルイズの独断で力を行使しないこと。この条件にまだ納得しかねたルイズに、ウェールズは少しばかり悪戯っぽい笑みを向けて説得した。 「あのジョセフ・ジョースターは、自分の力を濫用したりしなかった。しかし力を用いるべき時には、全力で事に挑んだ。だからこそ、私が今こうして生きて愛する従妹と婚約を結ぶ事が出来たのだ。 君の愛した使い魔は、君が無闇矢鱈に死地へ向かう事を願ったりはしないだろう。私達は、彼から貰い受けた多くの物を返す事が出来なかった代わりに、彼が大切にした少女を彼と同じ様に大切にしたいと考えている」 王としてではなく、友人として語り掛ける穏やかな口調。 それでもなお、でも、と反論しようとしたルイズに、ウェールズは僅かに口調を変えた。 友人の名誉を守ろうとする男の声で、静かに言葉を紡ぐ。 「あのジョセフ・ジョースターは、愛する主人に『国の為に力を使い尽くして死ね』なんて言うだろうか? もし彼がそう言うと思うのなら、君を私達の手駒とする事に異論はない」 そう言われてしまえば、ルイズにそれ以上歯向かう言葉など存在しない。 悲しげに俯いたルイズに、アンリエッタはすぐさま羽ペンを取ると羊皮紙に文面を書き連ねる。それはルイズを女王直属の女官とする許可証だった。 許可証をルイズに手渡すと、その手を離さないまま優しげな笑みを無二の親友へと向けた。 「今のわたくしには、愛するウェールズ陛下がおります。ですがルイズ、あの奇妙な使い魔と初めて出会った夜に言った言葉をもう一度、貴女に送ります」 女王から臣下に向ける為の表情ではなく、幼い頃からの親友に向ける為のアンリエッタの声色で、ルイズの手を握る手に力を込め、ブルーの瞳を潤ませて真正面からじっと見つめた。 「友達面で擦り寄ってくるだけの宮廷貴族達とは違う……私に真に忠誠を誓う貴女が、私には必要なの。今はもういないジョジョの分まで、わたくしの友人でいてほしいのよ、ルイズ!」 身に余る言葉を受け取ったルイズは感極まり、涙を流しながらアンリエッタに抱きついた。 「――女王陛下!」 「ああ、ルイズ! ルイズ! わたくし達だけの時はそんなよそよそしい呼び方をしないで! 昔の様に姫さまと呼んで!」 ひしと抱き合いながら、二人で気が済むまでおいおいと泣き合う姿を、ウェールズは目を細めながら眺めていた。 ルイズは感極まって泣き続けながらも、頭の何処かで何故こんなに涙が止まらないのかを理解した。 自分がメイジであるかどうかなど関係なく、自分を必要だと認めてくれる。 そう、ジョセフもそうだった。魔法が使えない落ちこぼれを馬鹿にする事無く、ルイズはただのルイズでいいのだと認めてくれた。 虚無の力ではなく、ルイズ本人を必要だと、敬愛する女王陛下とウェールズ陛下に認めてもらえた。 別れの手紙に書いてあった事は嘘ではなかった。今の私は一人ではないのだ、と、確信出来た喜びの涙だと、判ったからだった。 その日からルイズは、アンリエッタ達の前で『虚無』を口にする事はなくなった。 アルビオン大陸への封鎖作戦が進行しているとは言え、表向きは今すぐに戦争を仕掛けようとはしていないので国もそれなりには平穏を保っている。 休日には朝早く学院からトリスタニアへと向かい、アンリエッタの公務中は何をするでもなくただ女官として女王の側に立ち、時折出来る暇に言葉を交わし、慌しく短い食事の時間を共にしてまた学院へ帰る。 授業がある日には友人達と軽口を叩き合ったり一方的にからかわれたりしつつ、アンリエッタから届いた手紙に返事を書き、伝書フクロウに託す。 アンリエッタに送る手紙を書く手を一旦止めて、毎日の習慣となりつつあるティータイムを今日もまた過ごしていた。 空になったカップをソーサーの上に置くと、シエスタは慣れた手つきでそっとお茶を注いでいく。 「ジョセフさんの世界って本当にすごいんですね、ミス。贈られた軟膏でアカギレもひび割れも出来なくなっちゃいましたし、お腹の調子を悪くしてもあの丸薬ですぐに治ってしまいます」 シエスタにもジョセフからの手紙とプレゼントは贈られていた。 竜の羽衣のお陰でタルブを守れた事、無事に元の世界へ帰還できた事、シエスタの祖父の遺言通り、祖父の生まれた国へと返還した事、初めて会った時から親身になってくれた事。それらについて丁寧に礼が述べられた後、シエスタへのプレゼントも添えられていた。 見た事もない素材で作られた箱にたっぷりと詰められた、これまた見た事もない素材で作られた小さな筒に入った軟膏と、茶色の小さなガラス瓶に入った茶色の丸薬。そして軟膏と薬の作り方と材料。 ジョセフの世界の単語で言えば、ダンボール箱にたっぷり詰まった日本製の軟膏と正露丸。 軟膏の実物は学院中の使用人全員が毎日使っても二年分は優にあり、使用人の肌環境を劇的に改善させる事となった。 正露丸は魔法も必要とせず、ただ飲んだだけですぐに腹痛を治めてしまう。使用人のみならずメイジ達にもその評判は流れ、軟膏や正露丸自体やその材料の研究も流行の兆しを見せている。 「……そうね。あいつはいっつもそう。自分は他人の為に走り回ったくせに、あんなに一杯贈り物なんか贈ってきて。腹が立つわ」 ジョセフの話題になると時折零れる刺々しい言葉は、ジョセフへの思慕の情が漏れそうになるのを隠そうとするパフォーマンスである事は、シエスタのみならずルイズの主従関係を知る友人達にとっては周知の事実だった。 その証拠に、刺々しい言葉とは裏腹に、かつての使い魔を語る口調はいつもとても柔らかい。 しかしその柔らかな口調は、すぐに言葉に似つかわしい刺々しさを持つ事になる。 「……で、あいつは一体どこほっつき歩いてるのかしら」 「さあ……厨房からここまで擦れ違いませんでしたし、いつもの様にどこかで昼寝なさってるんじゃないでしょうか」 本格的な棘が発生しても、シエスタはどこ吹く風と言わんばかりにしれっとルイズの言葉を流す。 それがまたルイズの気に障り、見る見る間にテンションを上げさせて行く。 「あいつあたしの使い魔でしょ!? なのにいっつもご主人様の側にいないでほっつき歩きっぱなしってどう言うことかしら!」 それから一通りきーきー喚いている所に、ドアがギィと押し開けられた。 部屋へ入ってきた姿を見たルイズが、勢い良く椅子から立ち上がると鞭を“彼”へ向けた。 「一体今までどこブラブラしてたのよ! 使い魔がご主人様の側にいないって、アンタ本当に使い魔としての自覚あんのジョセフ!?」 しかし“ジョセフ”は意に介さず、後ろ足で首の後ろを掻いた。 その悠然とした態度が更に癇に障り、しばらく散々喚いて疲れたルイズがじとりとした目で“ジョセフ”を見下ろした。 ジョセフ・ジョースターがルイズへ贈ったのは、自分の代わりの使い魔になる動物だった。 ジョセフがスピードワゴン財団に無理を言って用意させたのは、虎の仔。地球に生息する虎の中でも最大級の体格を持ち、尚且つ生息する個体数も少ない貴重なアムールトラをルイズへと贈ったのだった。 無論ルイズはその虎にジョセフと名付け、使い魔として契約を果たした。 しかしこの虎は色々と小生意気で、コントラスト・サーヴァントも行ったにも拘らず、主人を主人と思っていない様に自由奔放に振舞う。 トラックのコンテナに設置された檻の中にいた時は猫程度の大きさだったのが、良く食べ良く寝て良く走った結果、あっと言う間に大型犬よりも大きくなっている。これで更に大きくなったら果たしてどうなるのか、今からルイズの頭痛の種だった。 「まあまあそう怒るなよ娘っ子」 部屋の隅でかちかち唾を鳴らし、能天気な声で取り成す剣の声が更に怒りを増幅させる。 「うるっさいわね! アンタはいいわね、前のジョセフの時も今のジョセフの時ものうのうと隠居暮らしが出来て」 「な! おめえそれは言っちゃなんねえ事だぞ! 大体娘っ子もお前らも伝説の剣を何だと思ってやがる!」 貴族と剣の言い争いも恒例行事。黒髪のメイドは意にも介さず、まだ手の付けられていないパイを手に取ると、ジョセフへと差し出した。 「ふふっ、ジョセフさん。沢山食べて大きくなるんですよー」 大きく開けた口の中へパイを落としてもらい、ジョセフは嬉しそうにパイを飲み込むとシエスタの足元へ身を摺り寄せた。 「あっ! こらジョセフ、何ご主人様以外の女に媚売ってるのよ!」 「あらミス、ジョセフさんと私はとーっても仲良しなんですよ? こんなに可愛い虎さんをしかってばかりの怖いご主人様より、ご飯上げて可愛がっちゃう私の方がずーっといいですよねー?」 がぁう、と虎が暢気に鳴いて、四つ巴の口喧嘩が発生するのもまた日常茶飯事。 伝説の担い手と伝説の使い魔は、そんな肩書きなど関係なくじゃれあっていた。 ――シエスタはそれから学院のメイドを数年勤めた後に故郷のタルブ村に帰り、丈夫で働き者の夫を得てブドウ栽培とワイン作りに専念する。 シエスタが完成させ、村の恩人である英雄の名を冠した「ジョースターワイン」は、ヴァリエール家の晩餐会に供され、トリステインでも屈指の高級ワインとして名を馳せる事となる。 ――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、ウェールズ王と共に手を取り合うアンリエッタ女王の側に付き従い忠誠を誓う女官として、使い魔である巨大虎と共に歴史書に名を残す事になる。 彼女が虚無の担い手であった物語は世間に聞こえる事は決してなかったものの、彼女の誇り高い生涯はヴァリエールの子孫達に語り継がれていくのだった―― ゼロと奇妙な隠者 完